すみれ幼稚園便り

                  手をつかう

 先日子どもたちが粘土遊びをしているところに行ってみると、丸いかたまりの粘土を手の平でギュッと押して平らにしようとしていました。固くてすぐには平らにならないので、立ち上がって両方の手を重ねて体重をかけるように押しつぶしていました。その隣では、親指と人差し指で粘土をつまむようにして形を作っていたり、丸や三角の型を平らに伸ばした粘土に押し付けて型抜きをしたりしていました。
 別のクラスに行くと、折り紙を折っている子どもたちがいました。角と角を合わせて折ったり、細く折ったり角度を変えて折ったりと様々な折り方をしていました。よく見ていると、5本の指を実に巧みに使って紙を押さえたり、折り筋をつけたりしているのです。普段あまり使わないと思いがちな薬指や小指も折り紙を折るには重要な役割をしているのだと、感心して見ていました。
 また、園庭では泥団子を作っている場面に出会いました。手の平にちょうど収まる大きさの土を乗せ、手を丸くしてギュッと握っていきます。手の中で転がしながらだんだん丸い形になっていきました。そしてその丸くなった団子をお皿に乗せようとしましたが、片手でつかんだ途端、団子がホロホロと崩れてしまいました。すぐに別の土を手の中に包み込んで次の団子を作り始めます。今度は先ほどより慎重に団子をつかみます。今度はうまく皿に乗せられました。団子を握る手の圧力と皿に移す時につかむ圧力はきっと違うのだと思います。それを微妙な力加減をしながら繰り返し作っていました。
 最近の生活の中では手をつかうことが減ってきているように感じます。スイッチひとつ、タッチだけで済むことが多いですし、この頃は接触を避けるために触らずに済むことも増えています。そのような進化や、技術の発展はもちろんすばらしいことだと思いますが、手を動かすことで、脳も活発に活動すると言われていますから、手をつかわなくなった生活では脳も休息気味になっているかもしれません。
 子どもたちの遊びには手や指を巧みに動かす要素がいっぱい含まれています。生活の中でもボタンをとめる、紐を結ぶなどの手を使う動作が色々あります。子どもたちには、日常生活や遊びの中で手や指をたくさんつかう経験を積み重ねていってほしいと思います。

すみれだより 令和4年6月号  園長 福永典子






すみれ幼稚園便り/園長便り・バックナンバー


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5月

                ある日の園庭から

 幼稚園の園庭から子どもたちの笑い声や、おしゃべりの声が聞こえてきます。その声に誘われるように園庭に出て子どもたちの遊ぶ姿を見ていました。早くも咲き始めた藤棚の下から「見て、見て」と声がするので、行ってみるときれいに型抜きされた砂のごちそうを見せてくれました。「きれいにプリンの形になったね」と褒めると、嬉しそうにその後もいくつも型抜きを続けました。他の先生にも「見て」と声をかけ「上手にできたね」「きれいに抜けたね」と褒められると満足気な表情になっていました。大型遊具のところでは、上り棒からスルスルと上手に降りるところを「見て」と先生に見てもらい何度も褒められて嬉しそうでした。ジャングルジムのてっぺんからも、「ほら見て」と声がします。指さしたその先にはこいのぼりが風を受けてまさに泳いでいるところでした。ジャングルジムの上からはこいのぼりが間近に見え、迫力があってその姿を他の人にも見せたかったのでしょう。
 子どもたちは遊びの場面でよく「見て」とか「見てて」などと言葉を発します。「見て、すごいでしょう」とできるようになったことや頑張っていることを認められたい、褒めてほしいという場面での言葉です。またこいのぼりの場面は何かに心が動いたことを他の人にも共感してほしい気持ちの表れです。幼稚園の生活では友だちや先生との関わりの中で認められたり、褒められたり、気持ちに共感してもらえたりする経験を積み重ねていきます。ユニセフの調査では日本の子どもたちは諸外国に比べて「自尊感情が低い」と報告されています。自尊感情を高めるには、子どもの頃からご家庭や幼稚園などの場で一人ひとりの良さが認められ、肯定的に評価されることが大切だと思います。
 4月から新しいクラスや場所や先生、友だちとの生活がはじまりました。新しい環境に少しずつ慣れてきたところだと思いますが、自分の存在が周囲の人に認められ、守られているという安心感や安定した情緒が支えとなって次第に自分の世界を広げていけるのだと思います。

園長 福永典子

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4月

                それぞれの育ちとともに

 お子さまのご入園、ご進級おめでとうございます。
 園庭では、昨年秋に年中組の子どもたちが植えたチューリップが色とりどりの花を咲かせています。同じ日に植えた球根なのですが、3月のはじめに芽を出したものがあるかと思えば、4月になってゆっくり芽を出したものもあります。花のつぼみも、小さく引き締まっているものや、ふんわりと丸いものもあります。茎の長さも開花する時期も色々ですし、花の色はもちろん開き方や中のめしべの形や色も少しずつ違っています。
 子どもたちも同じ年齢や生まれ月であっても、興味のあることはそれぞれ違いますし、成長のしかたも性格も色々です。幼稚園は集団生活を経験する場所ですが、みんなが同じように育つように教育しているわけではありません。一人ひとりの違いを教師がきちんと把握して、それぞれの特性に応じた援助を行っているのです。園生活の中で子どもたちは自分らしさを発揮しながら、さまざまな育ちの姿をみせてくれるのです。チューリップの花がそうであるように、それぞれが違う速度や形で賢明に成長し、つぼみをふくらませ、花を咲かせるのです。伸びる速度が早いことが良いとは限りませんし、大きな花をつけるのが立派なのではありません。一人ひとりが違う伸び方、育ち方をするから素晴らしいのだと思います。
 新しく始まりましたこの1年がお子さまとって豊かな成長の時でありますよう、教職員一同力を合わせて努力してまいりたいとおもいます。

園長 福永典子

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3月

                成長を喜び次のステップへ

 寒さの中にも春の暖かい日差しを感じられるようになりました。今年度もいよいよまとめの時期を迎えます。
 この1年の園生活の中で子どもたちは様々な友だちや先生と出会い、一緒に遊んだり生活したりしてきました。その中で、「○○ちゃんは絵が得意」「○○ちゃんは恐竜のことをよく知っている」「〇〇ちゃんは編み物が得意」など一人ひとりの特徴や好みなどに気づいてきました。また、表面的な特性だけでなく、「○○ちゃんはきっと優しいから許してくれるね」「○○くんはこういう考えをするかな」などお互いの心情や考え方の特性にも気づいて、その良さをお互いに認められるようになっています。年長組になると、お互いの苦手なことや、つい失敗してしまうこともよく知っていて、手伝ってあげたり、さりげなくフォローしたりする場面もあります。
 先日の子ども会では、それぞれの好きなことやこれまで熱心に取り組んできたことが生かされ、その子らしさが表れるような内容や演出を考えて準備してきました。子どもたち同士も友だちの演じる姿や作ったものに対して「それいいね」「素敵だね」と認め合う場面が見られました。
 人はそれぞれ違う特徴や考えをもっています。その「ありのままの自分」が認められる安心感があってはじめて自分を発揮できるようになるのだと思います。この1年で育ったことがたくさんありました。目に見えてできるようになったことはもちろん、頑張る力や人と関わる力など、目には見えにくい成長も是非言葉に出して褒めてあげてください。子どもが自分で自分の成長を感じることは難しいものです。人から認められてはじめて、「大きくなった」自分を自覚できるのです。その成長を感じることが自信となり、次のステップへつながっていくのだと思います。
 この1年、すみれ幼稚園の教育についてご理解ご協力を賜りありがとうございました。お子さまたちがこれからも健やかに成長されますよう願っております。

園長 福永典子

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2月

                 伝承遊びを楽しむ

 1月は園内のいたるところで、日本の伝承遊びを楽しむ様子が見られました。独楽遊びでは年少組は手回し独楽、年中組は糸引き独楽、年長は投げ独楽に挑戦しています。毎日友だちと楽しむうちにコツをつかんで回せるようになると、次にはどれだけ長い時間回せるかを競ったり、紙や手の上に乗せる技を試したりしていました。
 凧もそれぞれ自分で模様を描き個性的なものが出来上がり、園庭で走りながら凧が風をはらむ感覚を味わっています。その他、羽根突き、まりつき、けん玉、お手玉などにもチャレンジしています。保育室ではカルタとり、すごろく、福笑い、あやとりにも取り組み、友だちと教え合いながら楽しんでいます。また年長組では保護者の方がいらして、独楽や羽根つき、まりつき、ゴム跳びなどを教えていただいたり、一緒に楽しんだりする楽しい企画がありました。
 伝承あそびは「人から人へ」と伝わっていくものです。昨今は独楽の回し方やあやとりのとり方は動画サイトでも学ぶことができるのかもしれませんが、信頼している人から教わったり、同じ空間で一緒に楽しんだりすることによって、その人の愛情や思いも同時に伝わっていくのだと思います。お家の方や先生たちから子どもたちへと遊びを通して人のぬくもりのようなものが伝わっていくことを願っています。
また、伝承遊びはどれも「手」や「身体」を使います。遊びを楽しむうちに指先が器用になったり、バランス感覚が養われたりするというすばらしい教材でもあるのです。
子どもたちの伝承遊びを楽しむ姿を見ながら、目まぐるしく変わる時代の中で、ゆっくり関わったりゆっくり楽しんだりすることを大切にしていかなければならないと感じました。

園長 福永典子

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1月

                 友だちと関わる

 あけましておめでとうございます。今年も子どもたちの育ちを支えながら充実した園生活が送れるよう懸命に努力してまいりたいと存じます。
 昨年11月から12月には、2年ぶりに保育参観で園内でのご様子を観ていただく機会をもつことができました。お忙しい中ご参加くださいましてありがとうございました。短い時間ではありましたが、お子様の成長を感じていただけたのではないかと思います。
 皆様からの感想からは、お子様の成長とともにお友だちとの関係のことも多く書かれていました。友だちとうまく関われているのだろうか、自分の意見を伝えられているのか等、色々なことが心配になると思います。毎日多くの友だちと平和に楽しく遊んでほしいと願いたいところですが、子どもたちはそれぞれ色々な考えをもっています。ですから、当然自分の思い通りにならないことや、入れてもらえない経験やそれぞれの思いがぶつかり合う場面などにも遭遇します。悔しい気持ちや悲しい気持ちになることもあります。でも、この経験こそが人との関係を学ぶ大きなチャンスなのです。教師はこのような場面で「謝る」「許す」などの表面的なやり取りでも「良い」「悪い」でもなく、子どもたちの心の深いところに丁寧に関わっていきます。双方の話を聞いて気持ちを引き出したり、論点を整理したりします。どうしたら良いかについても大人が決めるのではなく、自分たちで解決策を見いだせるように手助けします。その中で、子どもたちは自分とは違う考え方があることに気づいたり、考えに折り合いをつけたり、お互い協力したりすることを学んでいくのです。
 進級、入園から8か月が過ぎ、友だちとの関係がより深まっていく時期です。友だちという他者との関わりの中で自己を十分に発揮し、さらに相手のことを尊重する気持ちが育っていくことを願っています。

園長 福永典子

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令和3年12月

                 表現するということ

 ある日ホールから賑やかな音楽が聞こえてきました。行ってみるとCDの音楽に合わせて楽器を奏でる年長さんの楽しそうな姿がありました。木琴やカホン(ペルー発祥の楽器)空き缶やビン、箱の中のドングリなどを音楽に合わせて鳴らしていました。曲のリズムに合わせて体も自然に動いて演奏する楽しさを体全体で表現していました。その横ではプリンセスになりきって踊る人たちもいて、ファンタジーの世界に迷い込んだような雰囲気でした。
 別な日には、同じ場所で年中の子どもたちが、自作の紙芝居やお話を演じていました。以前から自分で作った紙芝居を演じる遊びをしていましたが、この日は他クラスのお客さんも招いて発表する機会だったようです。開演前のアナウンスやお客さんへのお願いなども自分たちで行っていました。それぞれが自分なりの表現を人前で発表する嬉しさを感じていたようでした。恥ずかしくなってしまって小さい声しかでない場面もありましたが、それは「人に見られる」ということを意識しはじめた成長の過程の一つでもあり、貴重な経験の機会となっているのです。
 年少組では子どもたちが空き箱等で楽器を作り、「山の音楽家」の曲に合わせて合奏ごっこをしていました。保育室には小さなコンサート会場ができていて、誰でも聴きに行けるようになっていました。自分の作った楽器を大事に抱えてまるで本当に音が出ているかのように演奏し、ほほえましい姿でした。お客さんから拍手をもらうと得意気な表情を見せていました。
 幼稚園生活の中で、子どもたちの「表現」は誰かに見せることや上手に演じることが目的ではなく、自分が「表現したい」「演じたい」という思いをその子なりに表現することを大切にしています。私たち教師は、子どもたちがどんなことに心を動かしているのか、何をしたいのかをキャッチして、道具や材料、素材などを用意したり、場を設定したりしていきます。大人のイメージを押し付けることなく、自由でのびのびと表現する活動を繰り返す中で、子どもたち自身が美しい音に気づいたり、豊かな表現力を身につけたりしていく学びの機会となっているのです。
 このような日々の遊びの中で楽しんでいる表現活動が、2月に行われる「子ども会」という行事にもつながっていくのです。

園長 福永典子

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11月

                   運動会

 先日の運動会は藤村女子中学・高等学校の体育館をお借りして2年ぶりに広い会場で開催することができました。子どもたちは初めての場所で少し緊張していたかもしれませんが、おうちの方々に見守られながら体を動かす楽しいひとときを味わっていました。
 幼稚園では9月ごろから身体を動かす遊びを保育の中に取り入れています。園庭で「よーいドン」と砂場から鉄棒まで走ったり、「パヤパパ体操」の曲を流して体操したりしました。年長さんや年中さんが体操をお手本として見せてくれるのを年少さんは見て何度も踊るうちに自然に覚えてしまいました。
 また年中さんは普段歌っている大好きな歌に“振り”を付けました。いつも歌っていた曲なので、“振り”が付くとより親しみが沸き、楽しんでリズムに乗れたのだと思います。
 年長さんもやはり最初は遊びの中でリレーを楽しむところからスタートしました。最初は人数など決めず、次の友だちにバトンを渡して何度も走るエンドレスリレーを楽しみ、徐々にチームを決めたり、クラスみんなで走ったりして、勝敗も意識するようになってきました。
 幼稚園の行事は生活の自然な流れの中で、園生活に変化や潤いを与え子どもたちが主体的に楽しく活動できるように計画しています。大人から「させられる」ものではなく、また見せるための「ショー」でもありません。子どもたちの「やってみたい」「楽しい」という気持ちを引き出しながら普段の保育の延長上に行事を位置づけています。保育の延長とは言っても、やはり当日はおうちの方に見て頂く機会として普段とは違う特別な雰囲気がありました。その緊張感を感じることも子どもたちにとって良い経験となったことでしょう。
 さて、運動会は終わりましたが、今後はその余韻を楽しむ活動や遊びが続いていきます。当日は他の歳児の競技を見られませんでしたが、これまでの保育の中で見たり応援したりしたことが刺激となって遊びや活動に大いに取り入れられていくことでしょう。

園長 福永典子

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10月

              異年齢のともだちと関わる

 「ゆうびんやさーんの おとしもの、 ひろーってあげましょ 1まい 2まい 3まい 4まい・・・」
 ある日園庭に出ると、大縄跳びを楽しんでいる子どもたちの姿が目に飛び込んできました。列には年長さん、年中さんが何人も並んでいて、自分の番が回ってくるのを待ちながら、ともだちが跳ぶ姿を見ています。
 年中さんのある子は、おそらく最近大縄跳びにチャレンジしはじめたばかりなのでしょう。先生が横方向に揺らす縄を「トトトト ピョン トトトト ピョン・・」という風に助走つきで跳んでいました。少し経験がある子は、「ひろーってあげましょ」のところから縄を回してもらって上方向にリズムよく「ピョンピョン・・」と跳んでいます。一方年長さんは、何十回も連続して跳んだり、「回していてね」と言ってグルグル回っている縄に、タイミングよく入り込む大技に取り組んだりしていました。また二人跳びにチャレンジしている子どもたちもいました。
 今、上手に跳んでいる子たちもきっと最初は、「トトトト ピョン」と跳んでいたはずです。でも何度もチャレンジするうちにリズミカルに跳べるようになり、回っているところに入れるようにもなってきたのだと思います。きっと「あんな風に跳べたらかっこいいな」と憧れの眼差しで上手な跳び方を見て、少しずつ上達してきたのでしょう。すみれ幼稚園は年齢別にクラス編成していますが、遊びの時間には異年齢の子どもたちが一緒に遊ぶ姿が見られます。お兄さんお姉さんの姿が刺激になってチャレンジするきっかけになったり、小さいおともだちに教えてあげたりする機会となっています。お店屋さんに呼んであげたり、ショーを見せたりするような交流も行われています。運動会に向けて年長さんがリレーをしていると、年中さんや年少さんが食い入るように見ています。そのうちきっと年中さんや年少さんのリレーごっこが始まることでしょう。
 異年齢のともだちと関わる中で、遊びが伝承されていったり、ルールを覚えたり、遊びのスキルが磨かれていったりするのです。

園長 福永典子

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9月

              一人ひとりが輝くために

 暑さが続いた夏休みでしたが皆さまいかがお過ごしでいらっしゃいましたか。
 COVID-19の感染拡大が続く中、2学期はどのようにしていけばよいのだろう、またいろいろな制限をしなければならないのかしら、と不安ばかりが私の心を支配し、夏の太陽とは裏腹に暗い気持ちになっていました。
 でも、先日の夏季保育で久しぶりに園に戻ってきた元気な子どもたちに会った途端、暗い気持ちになど、なっている場合ではない、と感じました。それは子どもたちの遊びに打ち込む真剣な姿や表情が輝いて見えたからなのです。まるで1学期の続きをするかのように工作に黙々と熱中するAくん、砂場で大きな山を作って「今トンネル掘っているんだ」とうれしそうにシャベルで土を掘っているBちゃんの笑顔、ブロックで作ったものを友だち同士で見せ合ってカッコよさを競っている姿、みんな今の瞬間を楽しみ生きているのだと感じました。
 日ごろスポーツ観戦をあまりしない私が、この夏はオリンピック・パラリンピックの競技に興味をもって観る機会が多くありました。得意とする種目が違い、技術も課題も違う、更に持てる能力の違いもある中で、一人ひとりが最高のパフォーマンスを行い、どの選手も輝いて見えました。
 お子さまたちも一人ひとり違う特徴があり、違う才能をもっています。一人として同じでない、それぞれの輝きをもっているのです。夏季保育で見せてくれた子どもたちのあの表情や輝きを私たちは守らなければならないと感じました。きっと感染対策は今後も続けなければならない状況は続くでしょう。でもそんな中でも子どもたちの一人ひとりの輝きが発揮できるような日々となるよう、私たちは色々な工夫をし、努力をしていかなければならないと感じました。保護者の皆様にもご協力していただきながら、皆さんでこの局面を乗り越えていきたいと思います。

園長 福永典子

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7月

              生活の場としての幼稚園

 ある日、朝から降っていた雨があがると年少組の子どもたちが園庭に出てきました。園庭の遊具は雨に濡れているため水滴を拭きとる必要がありました。先生と一緒に子どもたちも雑巾で拭きはじめました。ジャングルジムの上まで登り鉄の棒を1本1本丁寧に拭いたり、滑り台の手摺りにたまった水滴をきれいに拭き取ったりしました。大人からの指示でしているのではなくそれぞれが喜んでその水滴拭きを楽しんでいました。みんなできれいにしたおかげで、いつものように遊びを楽しむことができました。
 部屋では、どのクラスでも遊びの片付けの時間になると種類ごとに遊具を分けて元の場所にしまったり、テーブルに敷いていたビニールクロスを友だちと協力して畳んだりしています。小さなほうきとちりとりで床に落ちた紙くずを掃き集めて部屋をきれいにする作業も楽しんで行っています。
 ホールでは大きな積み木やブロックで家や基地などを作ってダイナミックな遊びが展開されますが、それを片付けるのはなかなか大変なことです。大きな積み木は友だちと2人で端と端を持って運び、どう積んだらうまく収まるかを考えながら積んでいきます。パズルを組むように積み木の形を選びながら積んでいくのです。ぴったり美しく収まると子どもたちも満足気に眺めて、充実感を味わっているようです。
 幼稚園は遊びの中から学ぶことが多くありますが、同時に生活をする場でもあるので、自分たちで生活の場を整えていくことも園生活の中で大切な経験の一つです。遊具や道具を種類ごとに分類したり、友だちと力を合わせて片付けたりすることから学べることが多くあるのです。
 年中組や年長組になると、椅子を並べたり、テーブルを拭いたりすることもするようになります。年長組の子どもたちが1日の終わりにブランコを片付けたり、砂場のシートをみんなで力を合わせてかけたりするお仕事に嬉々として取り組む姿は頼もしくさえ感じられます。
 生活の中で行われることは毎日同じようなことの繰り返しに感じられますが、日々の積み重ねの中で着実に身についていくのだと思います。子どもたちの生活が更に充実するように私たちも園内の環境作りに努力と工夫をしてまいりたいと思います。
◇子どもたちにとっての生活の場が更に心地良いものとなるよう、今年の夏休みにはお手洗いを全面改装する予定です。

園長 福永典子

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6月

              身近な自然に触れて

 幼稚園の門を入るとすぐ横に欅の木があります。毎年5月頃になると、テントウムシが欅の幹や葉に卵を産み、幼虫、蛹、成虫へと成長していく様子を子どもたちが毎日通りがかりに観察しています。ちょうど今、蛹から成虫に羽化する時期で、脱皮したての透明な羽を持ったテントウムシに出会えることもあります。
 また、先生たちは子どもたちに野菜を栽培する経験をしてほしいと、ミニトマト、ナス、きゅうり、オクラ、ピーマンなどの苗を用意し、子どもたちと一緒にプランターに植えました。子どもたちは水やりをしながら「大きくなってきたね」「花が咲いたよ」「実の赤ちゃんがあるね」などと生長や変化に気づいては先生に報告しに行きます。先生はその「気づき」を大いに認め「他の友だちにも知らせてね」と気づきを友だちと共有できるように言葉をかけたり、みんなで観察する機会を作ったりしています。
 また、葉を集めて飾りにしたり、砂や土の感触を楽しんだり、ダンゴムシ探しをしたり、オタマジャクシやカブトムシ、カタツムリの飼育をしたりしています。街の中にある幼稚園ですが、少しでも自然に触れる経験をしてほしいと願い、環境を工夫しています。他にも、雨、風などの自然現象や、太陽や雲などにも興味がもてるように話題にしたり、本で調べたりできるように準備をすることもあります。
 自然に触れる経験で大切なことの一つに、なかなか自分の思い通りにならない、という経験をすることがあります。水やりをしていても植物が枯れてしまうことがあります。飼育していた生き物が急に死んでしまうこともあります。晴れてほしい日に雨が降ってしまいがっかりすることもあります。自然を相手にするということは、「複雑さ」に付き合うことにもなるのだと思います。自然に関する知識は調べれば沢山の情報が得られます。でも実際に触れることによってしか得られない「複雑さ」に出会わせてくれるのが「自然」なのだと思います。
 すみれ幼稚園では、昨年から保育の中で自然に触れる経験ができるように工夫をする、というねらいをもって教育を進めています。ここではほんの小さな経験かもしれませんが、子どもたちの中に“生命”や“もの”を大切にする心や、多様な考え方ができる柔軟さが育ってくれることを願っています。

園長 福永典子

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5月

              コミュニケーション

 新学期が始まってまもないある日、砂場の傍にしゃがんでいる私の前に、葉っぱが1枚入ったカップが無言で差し出されました。見ると年少組の一人の子が私にごちそうをしてくれるようです。ムシャムシャと食べる真似をする間じっと私の顔を伺っています。「ごちそうさま、おいしかった」と言うと、安心したような表情になって、また砂遊びに戻っていきました。
 また、別な日には年中組の数人が砂や泥で作ったアイスクリームやドーナツ、ケーキなどを「いかがですか」と差し出してくれました。「お勧めの味はどれですか」と聞くと「チョコレートです」ときっと一番念入りにかき回したであろうカップを勧めてくれました。やはり、私が食べるのをじっと見ています。“どういう反応をするのだろう”と真剣に見られて、ちょっとプレッシャーさえ感じます。「とってもおいしい」「ごちそうさま」という私の反応を見届けると、安心して次のごちそう作りの続きを始めました。
 年長の部屋に行くと、折り紙を折っている数人の女の子がいて、傍で見ていると、「これ先生にあげる」と折ったばかりの素敵な花をプレゼントしてくれました。「ありがとう大事に飾っておくね」と伝えると、やはり安心した表情でまた折り紙を続けていました。
 新学期は新しい環境に緊張したり、遊びがうまく見つけられなかったり、友だちと遊べるかな、と心配になったりと心の中が複雑になっている時期でもあります。身近な人に「ごちそうをする」「プレゼントをする」のは、「私はここにいますよ」「ちゃんと見ていてね」という気持ちの発信なのかもしれません。また「この人は信用してもいい人だろうか」と試しているのかもしれません。
 大人は『言葉』でのコミュニケーションが中心ですが、子どもたちは『表情』『しぐさ』『行動』などのノン・バーバルコミュニケーションを多く使っています。私たちは子どもたちの言葉にならない気持ちや意図を汲み取りながら、日々の成長を支えていくことを大切にしていきたいと思います。
 ※日々の小さな遊びの中の成長を皆さまにもお伝えしたくて、「すみれ幼稚園
  通信」を発行し始めました。玄関に置きますので、ご興味のある方はお読み
  頂ければ幸いです。

園長 福永典子

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4月

              健やかな育ちを願って・・

 お子さまのご入園、ご進級おめでとうございます。
 今年は暖かい日が多かったせいか園庭の藤の花が早く咲き始めました。街路樹も新緑の若葉が一斉に伸びてきました。植物がお日さまの光を浴びてぐんぐん伸びていくように、子どもたちもこの幼児期にすばらしい成長を見せてくれます。それは、お子さま一人ひとりに伸びる力が備わっているからなのです。 私たち幼稚園の役目は、そのお一人お一人の持っている力を存分に引き出し、発揮できるようにお手伝いすることにあると思います。
 すみれ幼稚園では、子どもたちに何かを教え込むのではなく、「自分で考え、自分で行動する」力を育てる教育を行ってまいりました。この力はすぐに目に見えて育つものではありません。毎日の繰り返しの中で、また試行錯誤をする中でゆっくりと少しずつ育っていく力なのです。誰かに教え込まれたのではなく、自分で獲得したこの力は、この変化の激しい時代を生きるためになくてはならないものとなるでしょう。
 この4月から園長をさせていただくことになりました。すみれ幼稚園に受け継がれてきた70年の伝統をしっかり継承していくとともに、これからの時代を生きる子どもたちが健やかに育っていきますよう、精一杯努力をしてまいりたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

園長 福永典子

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3月

                 「伸びる力」
 3月となりました。日中は印象派の絵画の光のような明るさに包まれ、心なしか身体が和らぐのを感じます。すみれ幼稚園もあと半月ほどで終了式や卒園式を迎えますが、それまで、すべての子どもたちに、教室、ホール、または園庭で、心置きなく遊んで欲しいと思っています。
 思えば昨年の2月からでした。全園児が、休園や短縮時間など、これまでに例のない保育環境の中に置かれました。遊びの時間は削られ、行事も制限付きか中止、園外活動もなかなか行えず、園長として子どもたちの成長をだいぶ心配しておりました。しかし、やはり子どもたちの伸びる力は凄いものです。2月中旬開催の「子ども会」での子どもたちの姿は素晴らしいものでした。また、ここのところ、子どもたちを見ていると、どの子も、コロナによる弊害など何もなかったかのように、たいへん自由闊達に遊んでおり、同時に、身体も心も伸びやかに育っている様子が伺えて、園長として、今後の子どもたちの切れ目のない成長を確信しているところです。

〈ご報告〉
 さて、ここで園長交代の報告をさせていただきます。
私、和泉は、この3月を持って園長を退任致します。身体の事情によるものですが、4年間、保育を専門としない私が、無事、園長職を務めてこられたのは、ひとえに皆様のお陰です。この場を借りて心より感謝申し上げます。
 新しい園長は福永典子先生になります。福永先生は皆様ご存知通り、この4年間、主事、副園長としてすみれ幼稚園を支えて来られたばかりでなく、すみれのことをよく知っておられる頼りになる先生です。
 聞くところによれば、福永先生の祖母様、お母様はお二人とも、園長(他園)を務められた方だということです。福永先生が園長になられることで、すみれに、園長DNAをもつ三世代目の園長が生まれることになる訳ですが、音楽の世界では、音楽家は3代目にやっと花開くと言われています。1代や2代の才能だけではなかなか上手く行かないということでしょう。園長においても同様のことが言えるのではないかと私は思っています。
 以上ご報告でしたが、私は今後も理事長を続けさせていただきます。新園長とともに、すみれ幼稚園のために力を尽くして行きたいと思いますので、保護者の皆様におかれましても、どうぞ、私も含め新園長、そしてすみれ幼稚園への応援のほど宜しくお願い申し上げます。

園長・理事長 和泉耕二

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2月

〈コマ回し〉
 2月はじめは寒さの底、本来なら、そこを過ぎて少しずつ春の兆しが漂い始め、心も和みはじめる季節となるはずですが、残念ながら、新型コロナ感染症のおかげでそうもいきません。
 1月早々、武蔵野市子ども育成課より、子どもを預かる施設で感染者が増えていて、食事時に感染することが多いから注意するように、との知らせがありました。そのため、子どもと保護者の皆様および教職員の安全を考慮し、1月中は午前保育と致しました。しかし、ここのところ、東京都の感染者数が減少の傾向にあることから、2月から午後保育を始めることと致しました。子ども会の方も例年と違った形で実施させていただくことになりましたが、これもひとえに幼稚園全体と皆様の安全を考えての止むなき処置とご理解いただけましたなら幸いです。
 先月のある日、年中の子どもたちがホールで円陣を作り、先生の合図でコマ回しに挑戦しました。どれだけコマが回るか時間を競うためですが、やはり個人差があって、上手にコマを回せる子どもいれば、床にただ叩きつけるだけしかできない子ども、あるいは紐を巻くことすらおぼつかない子どもがいたりとさまざまでした。
 コマ回しは簡単なように見えますが、紐の巻き方、利き手から離す時など、初めての子どもにはコツをつかむのが相当難しいようです。
 私は、たまたまこのコマ回しの時間に居合わせたのですが、コマ回しを見ていて、楽器の奏法を習得するときと共通したものがあるように思いました。楽器の場合、うまく弾けるようになるためには「工夫する心」が必要です。「工夫する心」とは、失敗した理由(うまく行かない理由)を自分で考え、それをコツに繋げて行く思いつきも含めた力みたいなものです。
 例えば、ピアノやヴァイオリンの高い演奏技術を身につけて行く場合でも、自分で根気よく考えながら工夫してやっていくことでしか、上達を果たすことができません。大げさにいえば、そこに技術向上の奥義があるとさえ思うのですが、私は、子どもたちが、何度もチャレンジしたあと成功するであろうコマ回しを通して、実際にやることでしか身につけられないこと(世界)があることを、自然な形で感じ取ってほしいと思っています。 そういう意味では、けん玉、メンコ、お手玉など日本の伝統的遊びは、子どもたちにとって奥の深い、大変魅力的な玩具とも言えます。

園長・理事長 和泉耕二

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1月

〈新年のご挨拶〉

新年明けましておめでとうございます。
お正月は、昔から、新年の神(年神様)が家々に五穀豊穣と幸福をもたらしにやって来ると言われています。お正月は一年の内でも大切な行事ですが、先ずは皆さまとともに新年を心から祝いたいと思います。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 年初ということで、これまでにあまりお伝えする機会がなかった、すみれ幼稚園々名の由来を紹介させていただきたいと思います。それは、「すみれという花が日本古来の花で、陽のあたる庭にも、陽の当たらない岩陰にもしっかり根をおろして楚々と生き続け、咲き続けるから」であるということですが、すみれについてさらに書き加えますと、この草花は特別な場所を選ぶことなく、日本列島の津々浦々に咲く多年草で、実は、冬の寒さや夏の暑さに耐え得る強い草花だということです。そして、このすみれは、いにしえの歌として万葉集に四首も歌われています。
 新年を迎えるに当たって、本園名の「すみれ」がもつ深い意味をあらためて味わい噛み締めたいと思います(春の高尾山に行くと40種類以上のすみれを見ることができるということです)。
 さて、今年はどこのご家庭でも、元日早々から立て続けの感染者数増加の報せで、心おだやかに過ごせぬ正月を迎えていることと思います。まだまだ我慢の日々が続きそうです。どうぞ、各ご家庭で感染症予防への基本対策を怠ることなくお過ごしくださいますようお願い申し上げます。みんなでしっかり乗り越えましょう。
 すみれ幼稚園も子どもたちを取り巻く環境に細心の注意を払いながら、子どもたちには、1年の締めくくりの学期となる3学期を、元気な風の子のように過ごしてもらいたいと思っています。

園長・理事長 和泉耕二

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2020年 12月

〈お誕生会とプレイデー〉
 あっという間に心せわしい年の暮れとなりました。
 10月から11月にかけて嬉しいことが二つありましたので報告させていただきます。
一つは、10月28日(水)に、今年度はじめて全園児がホールに集まりお誕生会を行えたことです。やはり、子どもたちが全員揃うことで、年上の子どもたちは年下の子どもたちに対して歳上らしい「わきまえ」や「自負心」を働かせたり、歳下の子どもたちはお兄さんやお姉さんたちの活発な振る舞いを見て刺激されたりする様子が見て取れました。全員揃ってのお誕生会が子どもたちの自然な育ちの場となっていることを改めて知らされた思いです。
 当日は子どもたちのために、保護者Kさんのご好意により電子楽器テルミンを演奏していただくことが出来ました。いつも目にするような弦も楽器本体も見当たらない中で、Kさんの二本の腕(手)がアンテナ近くの空間をなぞると、不思議な音色のメロディが鳴り出し、子どもたちの目と耳は音や奏者の姿に釘付けとなりました。
 もう一つは、プレイデー(7月から延期)が11月21日(土)に開催されたことです。
幼稚園の方からは、新型コロナのこともあり「例年通りでなく簡素に」と、係りの保護者の皆様にお願いしておりましたので、その意向に沿って会場なども限定して実施していただきました。ところが、当日見させていただいてあまりにも素晴らしいのにびっくりしてしまいました。お囃子を聞きながら会場のホールに入ると、左壁面いっぱいに折り鶴で作った大輪の花火が四発打ち上がっていて、その真ん中には大鳥居と神社がでーんと据えられ、下には神輿まで置いてありました。正面にはたくさんの手作りお面(園児と保育者が制作)がかけられ、その右側の簾には祭りグッズが飾られ、近くにはみのむしとりや金魚すくいなどの屋台があって、何とも大変な盛り上がりとなっていました。もう一つの会場(年少の室)も祭りにふさわしい様々な工夫が凝らされていましたが、この紙面ではとても紹介しきれません。関係保護者の皆様にはこの場を借りて心から御礼申し上げます。
 さて、子どもたちは少人数に分かれての参加でしたが、祭り袢纏を身にまとい、素敵なチケットを手にしながら、釣りをしたり、宝探したり、最後にはたくさんの景品を手にしてみんな大いに楽しんで帰ったようです。例年と比べて行事が少ない今年度ですが、この日のハレの体験は、子どもたちの大切な思い出、あるいは財産になるに違いないと思っております。
 最後に、大変残念でしたのは、このプレイデーに限られた皆様しかお招きできなかったことです。来年は保護者やご家族の方はもちろん、卒園者、関係者全員をお招きできるような環境になっていることを心から願っています。

園長・理事長 和泉耕二

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11月

〈運動会の報告〉
 今年は異例ずくめです。残念ながら、市の方針により、総合体育館での運動会実施は叶いませんでした。そのため、場所を園庭に移し、「保育の中での実施」とコンセプトを切り替え、年少14日(水)、年長15日(木)、年中16日(金)の三日間、続けて実施することにいたしました。お陰様でどの日も天候に恵まれ、近い距離感での運動会が実現できたように思います。ただ、残念でしたのは、保護者の観覧をお一人のみに限らせていただいたことです。本来なら、子どもたちの成長を確かめるための絶好の機会でもあるのですが、運動会を心待ちにされながら観覧できなかった保護者の皆様には心からお詫び申し上げます。
 さて、運動会の各日はどの日も、体慣らしを兼ねてパヤパパ体操(佐藤公美子・元園長のオリジナル振り付け)から開始しました。会が始まってからの年長の子どもたちのお手伝いは立派でした。開会や閉会の宣言をしてくれたり、かけっこを終えた年少、年中の子どもたちを元の場所に連れて行ってくれたりするなど、見事なエスコートぶりを披露していて感心するほどでした。また年中の子どもたちや年少の子どもたちは、先生方の言葉をしっかり聞き取りながら演目に取り組めていて、その姿に確かな成長を感じ取ることができました。
 ところで、運動会実施日として予定していた17日(土)は、年長の子どもたちだけで15日の演目を再び実施しました。場所は武蔵野総合体育館、指定された人数制限(50人)を守りながら、さながら無観客試合のようでした。2チームに分かれて行なった演目最後のリレー走では、抜きつ抜かれつの大接戦、たいへんハラハラドキドキさせられましたが、勝敗などはともかく、どの子もみな真剣な表情で精いっぱい走っていたのが何より印象に残りました。
 とにかく異例ずくめの今年度ですが、これから秋もさらに深まって行き、別の楽しい行事も待っています。私たち保育者は子どもたちが運動会で発露していたエネルギーを大切にしながら、それぞれの子どもたちの育ちをこれからもしっかり応援して行きたいと思っています。

園長・理事長 和泉耕二

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10月

〈園長会にて〉
 10月は、すみれ幼稚園でも運動会を控えています。
 「天高く馬肥ゆる秋」と言いますが、先月は晴れの日が極端に少なく、曇りかまたは雨の日が続きました。下旬は特に雨が多かったように思います。今月は、秋の諺にあるように、ぜひ食欲もわくような、澄み渡る秋空が続いて欲しいと願っています。
 運動会といえば、先月の25日、久しぶりに開催された武蔵野市私立幼稚園の園長会で、各幼稚園からさまざまな現状報告があり、その中の一つ「運動会をどうするか」について以下のようなお話がありました。各園の置かれている状況が異なるので、同じように実施できないのは当然のことですが、「体操の時間に行う」、「運動会でなく遠足のように公園で行う」、「小学校の校庭を借りて行う。が練習場所がなく苦慮している」、「3回に分けて総合体育館ですでに実施」、「まだ未定」などのような内容のお話でした。どの園も実施形態がさまざまなことからも分かるように、苦慮の様子がうかがえるものばかりでした。
 折角ですので、当日話された運動会以外のいくつかのことについても、この紙面を借りてお知らせさせていただきます。以下、「危機管理上の見地から、休園、短縮保育、時差登園を必要に応じて実施。保護者からの要請に応えられず困っている」、「保護者のさまざまな意見があり対応が難しい」、「コロナ対策費用がかさんで園の経済が大変」などのようなシビアお話がありました。 それから「お預かり」については、ほとんどの園で新2号認定の方に限っている(やむを得ない場合は別)ということでした。
 私は園長会で皆さんの話をお聞きして、いまどの幼稚園も厳しい状況に置かれていることをあらためて認識させられました。これから秋、冬に向かってさらに厳しい環境が現出しないとも限りません。そのような中にあっても、すみれ幼稚園では今後も、子どもたちの成長にとって最良の保育が実現できるよう努力していきたいと考えています。

園長・理事長 和泉耕二

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9月

〈こころの糧〉
 この夏、子どもたちはどこかへお出かけできたのでしょうか。家やその近くばかりで過ごしていた子どもたちも少なくなかったのではないでしょうか。私は、長い休暇、とくに夏季休暇は、子どもたちがどこか旅へ出て、海や山などで五感を刺激しながら体感を向上させつつ、脳内空間を広げる絶好の時ではないかと考えています。しかし、今年は例年のようには行かないのは当然です。テレビなどの報道では、あおるように新型コロナウィルスの話ばかり、私たち大人でさえ緊張を強いられっぱなしです。子どもたちは、知らず知らずのうちに、いったいどれだけ不安な思いをさせられていることでしょう。もちろん、これからしばらくの間も、感染に対する注意を怠ることは出来ません。が、しかし、用心!と身構えて緊張ばかりしていては、人間、身も心も硬くなるばかりで、まったくつまりません。
 それはそうと、今夏の星空はいろいろな話題で事欠きませんでした。先々月、7月の明け方、めずらしく全惑星(七惑星)が並んで見えたのだそうです(私は見ることは出来ず残念でしたが)。また、先月8月、木星と土星が二つ並んでたいへん光り輝いていました。21時頃の南の空を見ると、とても明るくてすぐ分かるのですが、8月から9月にかけて、この二惑星、すこしずつ近づいて行くということです。星空は不思議さで心を和ませます。この夏、どこへも出かけることができなかった方(もちろんそうでなかった方も)は、ぜひ、壮大な夜空に目を向けて「あっ、夏の大三角形(デネブ、ベガ、アルタイル)がまだ見える!」などと、脳内空間をリフレッシュさせてみてはいかがでしょう。  さて、今月、9月といえばお月見です。私たちにとって親しみやすい行事の一つですが、ご家族一緒に、夜空に浮かぶまんまるのお月さまを眺めるのはどんなにか幻想的で素敵なことでしょう。ご家庭でススキを飾ったり、お団子を備えたりなどしながら、その折に、十五夜の行事の由来などを子どもたちに聞かせてあげることは、きっと子どもたちの気持ちを和らげるだけでなくこころの糧になるに違いありません(ちなみに今年の十五夜は10月1日ということです。ご注意ください)。

園長・理事長 和泉耕二

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7月

〈お誕生日会〉
 先月はたくさんお誕生会をしました。進級した3、4、5月生まれの子どもたちのお誕生日会を園内で正式にやっていなかったためです(もちろん、6月生まれの子どもたちの定時のお誕生日会もきちんと行いました)。幼稚園にとって大切な行事がたくさんありますが、その中で取り分け大切なものの一つがお誕生日会だと考えています。そのため、3、4、5月生まれの子どもたちのお誕生日会を、分散登園した各クラス単位での簡素なかたちではありますが、無事済ませることが出来て大変安堵しております。
 ところで園長としては、お誕生日会の中で担任が行うインタビューやお友だちが誕生月の子どもたちへ向けて、言葉のプレゼントとして「お誕生日おめでとう」を伝える瞬間が大好きです。
 それから、保護者の皆さんがお子さんに贈る言葉のプレゼント(プレゼント・カードの朗読)も、保護者の皆さんの深い思いを知ることが出来るような気がして、私にとっては外せない楽しみでもあります(もちろん同席できないこともありますが)。実は、この時の保護者の言葉には、時として感動させられることもあったりするのですが、今回、あるクラスで「生まれて来てくれてありがとう」というお母様の言葉に出会い、ふと、友人の詩を思い出してしまいました。ぜひここに紹介させていただきたいと思います。

園長・理事長 和泉耕二
          <今ここで>   詩 *すずきゆかり
元気な顔見せてね とは言わないよ
元気じゃない顔でもいい
顔見せてください
笑った顔 怒った顔 泣いた顔
生きている顔
この億万光年の時空の中で
奇跡的に すれちがうこともせず
あなたが生きている顔を
見られるしあわせ
〈『一編の詩があなたを強く抱きしめる時がある』PHP出版より〉
*すずきゆかりさんは名古屋在住の詩人です。
 この詩は「大阪音楽大学 今ここで」でネット検索するとYouTubeで
 視聴できます。

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6月

〈入園、進級おめでとうございます〉
 園児および保護者の皆さま、待ちに待ったご入園 ご進級おめでとうございます。
 外ではすでに、目に染みるほど鮮やかな紫陽花が咲いています。
 園長といたしましては、季節外れの感もある中ですが、ようやくこのお祝いの言葉を伝えることができてホッといたしております。とは申しましても「これでやっと長いトンネルから抜け出せたのかな」という思いと「感染症がぶり返すのではないか」という懸念が交錯する中にいることも事実です。きっと皆様も同じ思いと推察するところではありますが、このような状況の中にありつつも、教職員一同、希望や明るい未来を拠り所に、なんとか平常の保育という着地点を目指して、日々の保育に専念して参る所存です。何卒よろしくお願い申し上げます。
 ところで、今年度は、一学期に予定していた行事が、中止になったり、2学期、3学期に延期になったりいたします。また、国や都の指針に沿って「密状態を避ける」ことへの配慮から、当分の間、ソーシャル・ディスタンスを保つため変則的な時間割によってクラスを少人数にしたり、登降園時の混雑を避けるため、すみやかな登降園をお願いすることになります。何卒保護者の皆さまのご理解とご協力をよろしくお願いいたします。その他に、園内でもこまめな消毒や手洗いを心がけますが、この点についても、各ご家庭の方でもよろしくお願いいたします。
 最後になりましたが、年度始めにいつもお伝えしている、幼稚園創設者、フレーベルの言葉を掲げさせていただきます。「子どもは自ら成長する力をもって生まれる。大人の役割は自らの力で伸びようとする子どもを助けることであり、そのような子どもに何かを教え込むことはむしろ有害である」。子どもたちの成長は一日たりとも止まっておりません。すみれ幼稚園は、今年度もいつもの通り、子どもたちそれぞれの将来の開花に備えて、子どもが自ら成長するのを妨げることなく、根っこの部分を大切に育んで行きたいと思います。

園長・理事長 和泉耕二

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4月・5月号

〈子どもたちが喜ぶこと〉
 入園式を心待ちにしている子どもたちと保護者の皆様、同じく始業式を心待ちにしている子どもたちと保護者の皆様、いかがお過ごしでしょうか。おそらく、コロナウイルス感染拡大や防止の情報が溢れかえる中、日々行動範囲を限定されるという息苦しい生活を強いられていることと存じます。
 このような中、園長として懸念していることがあります。それは子どもたちの心と身体の健康です。子どもたちは常に遊びを必要としています。しかし、現下の状況では、保護者の皆様も仕事や生活で強いストレスにさらされており、子どもは子どもでその遊びを我慢しなければならず、双方が苛立つ中、つい保護者が子どもを叱ってしまったりすることが起こりかねない状況にあります(聞いた話によれば「怒りのピークは6秒」というのがあるらしく、6秒待つことで怒らずに済むのだそうです)。
 現在の緊急事態措置がいつまで続くのか分かりません。が、どうぞ、子どもたちのために、子どもたちが喜ぶこと、例えば「絵本を一緒に読む」「歌を一緒に口ずさむ」「体を動かす機会を作ってあげる」「一緒に遊ぶ」など(他にもたくさんあると思いますが)の機会を少しでも多く持っていただくようお願いいたします。
 教職員は皆、歯痒い思いをしております。一日もはやく幼稚園が安全な場所となり、子どもたちを安心して迎え入れることができるようになることを心から願っております。
 子どもたちと保護者およびご家族の皆様におかれましては、どうぞ、引き続き、コロナウイルス感染に十分気をつけながらお過ごし下さい。

園長・理事長 和泉耕二

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3月号

〈ご縁〉
 海外を発生地域とする新型コロナウイルス感染症の拡大が日本各地で懸念されています。保護者の皆様におかれましては大変ご心配な中でお過ごしのこととは思いますが、怠りない備えをお願い致します。医療専門家によれば、対策をきちんと取っていれば、過剰に恐れる必要はないとのことですが、まずは確かな情報のもと、しっかりとした手洗い、うがい、マスク着用を心掛けながら、人混みを避ける(不要不急の外出を控える)など、自らできることをぜひ心掛けて頂きたいと思います。
 ところで、すみれ幼稚園は本年、創立70周年を迎えます。現在、その記念事業として、70周年記念誌を制作していますが、古い時代の情報が散逸していて中々手に入りません。ところが2月の中頃、60年前にすみれ幼稚園に在園していたNさんが、吉祥寺に来たついでに「昔、通っていたすみれ幼稚園、今どうなっているかな」とふらり本園に立ち寄られました。お話を詳しく伺いましたところ、Nさんは昭和31年頃、年少、年中に在園し、その後お父様の転勤で九州の方に移られたとのことでした。最近、Nさんがフェイス・ブックで、幼稚園の頃大変親しかったA子さん(大阪在住)を発見し、「すみれ幼稚園にいたシゲコちゃん?」と確認したら、そうだということになって、その方と電話のやりとりが始まったということでした。私がNさんに、当時の幼稚園の思い出はありませんか、とお尋ねしたところ、途中転園したため、ほとんど覚えていないということでした。大阪のA子さんは如何でしょう?とお尋ねしたら、訊いてみますということで、早速、NさんからA子さんへ連絡して頂きました。そうしたところ、A子さんが当時のすみれのアルバムを持っているということで、つい最近、A子さんからNさん、Nさんから幼稚園へという思わぬ形でアルバムをお借りすることが出来ました。そのアルバムには、当時の園舎や先生方と、昔の箱型のブランコや今と変わらぬ藤棚、その近くにジャングルジム、御聖誕会の様子など、当時の在園生の記憶を呼び覚ますに違いない貴重な写真がたくさん収めてありました。すぐ私がA子さんにお礼の電話をしたところ、A子さんは関西の有名音楽私大で作曲を学ばれ、私と同業であることが分かりました。私は大阪の音大で長い間教員をしていたものですから、A子さんとの電話の内容には大変驚き、なにやら不思議なご縁のようなものまで感じてしまいました。
 70周年記念誌発刊の目的の一つは「埋もれている幼稚園の歴史的資料の掘り起こし、記念誌を通し世代を超えて卒園生が繋がること」などなのですが、私とNさん、A子さんは園生としての繋がりを持つ訳ではありませんが、もし同じようなことが卒園生の皆さんの周りで起こったらどんなに素晴らしいことだろうと、思わず期待を抱かされました。

園長・理事長 和泉耕二

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2月号

〈話し方と伝わり方〉
 先月下旬、大阪に行ってきました。2月初めに向こうで自作品を初演する準備のためです。私は31年間、大阪で音楽大学の教員をしていました。退職して東京に居を移してもう4年、時々、大阪ロスになったりします。ですので、このように大阪に行く機会があるときは心が弾みます。
 大阪に着いてはじめにすることはまず耳を澄ませることです。なぜかというと、大阪弁が耳に心地よいからです。大阪というと、多くの方が、大阪の一般人が吉本芸人のように話すと勘違いされて、大阪弁が怖いとかおちゃらけているとか言われますが、実際の大阪人の市井の会話は、抑揚が豊かで語尾も柔らかかつ丁寧です。私が耳型人間なので特にそう感じるのかもしれませんが、例えば、少し離れたところからたまたま二人の会話が聞こえたりするとき、その意味はよく分からないのですが、私には、まるでdolce(柔らかく、甘く)とかtenuto(音の長さを十分に保って)などの楽語に従って演奏されるメロディのように聞こえたりするのです。
 しかし、東京に戻ってきて東京弁が耳に飛び込んでくると、私が東京育ちでないこともあってか、普通の話ぶりが大変素っけなく、乱暴に聴こえてしまうことがしばしばあります。このように感じるのはどうも私だけではないようです。これはある意味、東京(江戸)が、情報の確実な伝達を至上とする官僚(武士)たちが集まる政治的中心都市であったため生まれ出た話し方によるようで、大阪のように相手を気遣いながらことを荒立てずに話すような訳にはいかないのはよく理解できることです。が、しかし、話している内容が正しく、いいことであっても、東京弁はきつく聞こえやすい傾向があることや、話し方次第ではさらに乱暴に聞こえてしまうことがあることを、やはりどこかで認識しておく必要があるのかもしれません。
 東京で生活されている多くのご家庭では、父母の方々が子どもたちを励ましたり叱ったりされるとき、東京弁で話されていると思うのですが、親がそのつもりでなく話していると思っていても、子どもたちには思った以上の強いニュアンスでメッセージが届いている可能性があります。ですので私も(一応、東京弁で話をするので)、少し自分の話し方を注意してみようかと思っています(因みに私は東京弁も大好きです)。

園長・理事長 和泉耕二

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1月号

〈新春夢語〉
 新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
 皆様は年末年始にかけてどのように過ごされましたでしょうか。
 私は例年のごとく、初詣のあとお節をいただき、毎年楽しみにしている1月1日の新聞を読みました。いつものことながら、そこには、これから先の日本と世界の様々な展望について書いてありました。その中で取り分け私の目を惹いたのは、AI(人工知能)についての記事でした。「日本の労働人口の49%が就いている職業が、AIなどに代替される可能性がある。路線バス運転者やレジ係に残された時間は長くて20年」などと書いてありました。
 このような記事を読むと、これから人間不在の時代が来るような気がして、私などはすぐ暗澹たる気持ちになってしまいます。心配なのは鉄腕アトム(手塚治虫の漫画の主人公、愛と勇気に溢れた利他的なロボット)の失敗型ロボットが生み出されはしないかということです。人間世界が牛耳られたら大変です。しかし、同じ新聞記事に「子供でもできるような無意識による人間の作業はAIには学習が難しい。人間でいえば今のAIは1歳児の能力」ともあり、それを読んで「そうだよな。人間が育つには物凄く手間が掛かるんだよな」とどこかで胸を撫で下ろす自分がいました。
 確かに日本はこれからも技術立国として生きざるを得ないし、世界に先駆けたデジタル分野の開発やAIの活用は大いに目指さなければならないでしょう。しかし、決して人間優位を忘れて欲しくないと思う訳です。
 ところで人間らしさとは何か?これは大変難しい問いで、私などにはとても答えようもありません。ただ〈新春夢語〉ということで、私の直感に頼って答えることを許していただけるなら、人間らしさとは「無意識と有意識の混じり合うゆらぎの中に生きているものが醸し出すもの」とか「感情や共感力を持ち、遊びが好きで、美に憧れたり、どこか頼りなげだが予想を超えたおもしろ味を持つものたちの様相」ということにでもなるでしょうか。  正月の新聞が想定している近未来では、いま在園中のすみれの園児たちが成人として活躍しているはずです。その未来に身を置くことになる子どもたちには、たとえ社会が激変しようとも、人間や地球に存在する全生物の上位に決してAIを置くことなどのない、人間のことがよく理解できる人間らしさに溢れた賢い大人に育って貰いたいと思います。

2020年1月9日  
園長・理事長 和泉耕二

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12月号

〈11月の子どもたち〉
 私は職務上、いつも子どもたちのそばにはいることは出来ないのですが、先月も幸い、子どもたちの興味深い姿に接することができました。以下にそのいくつかを紹介させていただきます。
 先月12日、年中の子どもたちの発案で作った自作楽器(ヴァイオリン、チェロ、ギター、笛、太鼓などですが、音は出ません)による歌(カントリーロード、虹の向こうに、など他たくさん)と先生のピアノ伴奏による小音楽会がホールで開催されました。お客様はつぼみ組や年少、年中の子どもたちでした。この小音楽会は、前日保育室で、S児が箱を使ってヴァイオリンを作ったことが発端となっています。それを見た保育者が「音楽会でもやってみる?」と一言言ったら、みるみるうちに他の子どもたちも楽器を作り始め、気が付いたら当日の小音楽会に漕ぎ着けていたということです。私はその音楽会に立ち会いましたが、子どもたちはほんとうに思い思いに音の出ない楽器を奏で、実に楽しそうでした。
 13日はJFAキッズプログラム東京によるサッカー教室がありました。1時間半のプログラムで、巧みな指導スキルを持った先生方が、はじめはボールをいじることさえ覚束ない園児もいる年長の子どもたちを、最後には全員が試合を出来るところまで導いてくれました。一つのボールに数人で群がりながら一心不乱に追いかける子どもたちの姿は、多くの大人が忘れている「ひたすらな世界」そのものでした。
 22日はパペット(人形劇)を鑑賞しました。三味線片手にたくさんの声音を使いわける演者の語り具合に、全園児は吸い込まれるように見入っていました。そして可笑しいときはその都度、足をばたつかせたり手を上げたりしながら、屈託のない笑い声を何度もホールいっぱいに響かせていました。私の方と言えば、子どもたちが語りの微妙なニュアンスに見ごと反応するのにただただ驚かされていました。
 以上ですが、それにしても子どもたちが輝いている姿に出会ったとき、幸福な思いに満たされるのは何故なのでしょう。不思議です。

園長・理事長 和泉耕二

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11月号

〈運動会〉
 気候変動のせいでしょうか。10月になって台風が立て続けにやって来ました。19号や21号は日本の広域に甚大な被害をもたらしました。被害に遭われた方々には心からお見舞い申し上げます。ところで本園では10月22日(土)に、例年のように武蔵野総合体育館を借りて運動会開催を予定しておりました。しかし、台風19号の直撃を受けて体育館そのものも閉鎖となり、その日の運動会は取り止めにせざるを得なくなりました。この取り止めは本園創設以来(69年)初めてのことと聞きました。止むを得ず、予定していた演目および競技の一部を10月23日(年少のかけっこ、年中のかけっこと玉入れ、全園児ダンス)、24日(年長の組体操、リレー、全園児ダンス)の二日に分けて、開催場所を園庭やホールに移し実施いたしました。幸い両日とも天候に恵まれ、多少窮屈ではありましたが、保護者の皆さまや関係の方々から子どもたちに向けて熱心な声援をいただく中、無事実施することができました。この場を借りて皆様に感謝申し上げます。
 さて、すみれ幼稚園が運動会実施で大切にしていることは「日頃の保育に根差したもの」を行うことです。が、実際には、二日にわたった運動会では、すみれの子どもたちは勝ち負けを競う「かけっこ」や「リレー」があったり、たくさんのお客様に囲まれて失敗できないなど、平常とは異なる緊張状態の中に置かれていました。でも私の見たところでは、子どもたちはそのような緊張などどこ吹く風で、いつも通りの明るさ、伸びやかさ、生き生きとした表情の中に居続けたように思います。運動会が終わってから何人かの方より「家庭的な運動会もいいものですね」とか「子どもの表情を近くに見られて良かったです」などの暖かい感想をいただきました。大変嬉しい感想でしたが、来年は、何としても台風などに邪魔されることなく、武蔵野総合体育館ですみれ幼稚園らしい運動会を行いたいものです。

園長・理事長 和泉耕二

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10月号

〈親子で楽しむ音楽会/歌とお話〜なつかしい子どもの歌〉
 先月9月21日(土)の午前中、ソプラノの人見共さんとピアノの和泉眞弓さんをお迎えし「親子で楽しむ音楽会/歌とお話〜なつかしい子どもの歌」を開催致しました。曲は「おもちゃのチャチャチャ」「通りゃんせ」「かもめの水兵さん」 など17曲でした。若い保護者の中には、最後に歌っていただいた「夕日(ぎんぎんぎらぎら)」を知らない方がいたりして少し驚きましたが、それについてはそれぞれ育った時代が異なるので当然のこと、だからこそ「なつかしい子どもの歌」などのようなコンセプトで演奏会を行うことに意味があると考えています。なぜなら、若い保護者の方や子どもたちが今まで聴く機会を得なかった「古いけれどもいい曲」を知ることで、普遍的な心の風景を広げることができると思うからです。またそれによって世代を越えた繋がりも生まれるような気がしています。
 当日の演奏会の中程では、楽しくなった子どもたちが、歌っている人見さんのところまで出て行き、身振りを真似したり、周りをグルグル回ったりしていました。人見さんには事前に「今日のコンサートは何が起こるか分かりません。むしろハプニングを楽しんで下さい」と伝えてありました。結局はびっくりするようなことも起こらず、実に自由で伸びやかな演奏会となったように思います。来場者は約90人ほどでしたが、その中に、昨年本園にアプライトピアノを寄贈して下さったAさんが横浜からわざわざいらっしゃって下さっていました。このピアノは、すでに社会に出られた二人のお嬢さんが高校時代まで愛用されていた大切なピアノです。
 翌日Aさんは次のようなメールを下さいました。紹介させていただきます。「プロのピアニストと声楽家の演奏で日本人の心の故郷ともいうべき懐かしい歌を堪能させていただきました。すみれ幼稚園の子どもたちは小さい時から〈本物〉に接する機会を与えられて幸せだと感じました。『お行儀よく聞きなさい』と注意されずに、そのとき沸き起こってくる気持ちを体で表現することが許される園の寛容な方針にも好感を持ちました」。大変嬉しいメッセージでしたので、皆様に紹介させていただきました次第ですが。さて10月12日は武蔵野市民総合体育館で運動会が開催されます。保護者の皆さんの協力のもと、子どもたちにとって失敗を恐れぬ、元気かつ楽しい運動会にしたいと思っています。

園長・理事長 和泉耕二

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7月号

〈「いのち」のこと〉
 年中のM先生が透明のプラケースを持って「これからアゲハチョウを外に帰してあげようね」と言いながら、保育室から園庭に出て来ました。6月14日のことです。この蝶は、幼虫からさなぎになるまで、年中の子どもたちが葉っぱをあげたりして保育室で育てていた6匹(正しくは6頭)のうちの2匹目でした。たまたま園庭に出ていた私もその放蝶のチャンスに立ち会うことが出来たと言う訳です。子どもたちは外に飛び出たアゲハチョウを一斉に追いかけながら、大きい声で「蝶々さん、さようなら!」と言って、その行く先を手を振りながら見守りました。蝶は門扉脇の高いゆりの木のてっぺん辺りにとまって「これからどうしようかな」と思いめぐらすかのように翅を揺らしていましたが、この様子を見ながら、私は、先生方がどのように「いのちの大切さ」を子どもたちに伝えているのだろうと気になりだしました。早速、M先生にそのことを尋ねてみました。するとM先生は「子どもたちはアリを捕まえようとして、思わず手でアリを潰してしまうことがあります。それはまだ指先が器用でないためで、それが原因でつい手を押し付けてしまうのです」と説明してくれました。またそういう時は「いのちの大切さ」を伝えるよい機会なので「アリさんもお母さんやお父さんがいるんだよ。アリさん、おうちへ帰れなくなったらかわいそうだよね」と言ってあげるのだそうです。そうすると、子どもたちはすぐ、アリに優しく接しなければいけないことを理解してくれるとも話してくれました。
 すみれの園庭にはたくさんの木があり、その周りにいろんな虫が住んでいて、保育室にはカタツムリや魚もいます。このような幼稚園の日常の中で、子どもたちが「いのち」と接して生活していることや保育者が機会を捉えて「いのちの大切さ」を教えたりしていることをあらためて知り、私は大いに安心したのですが、私も今度、アリや虫を捕まえようとして苦労している子どもと出会ったら、その子どもにそっと「アリ(むし)さん、きっと誰かに会いたくて生まれて来たんだよ。お母さんかな?お父さんかな?それとも大好きなお友だちかな?」と話してみようと思っています。

園長・理事長 和泉耕二

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6月号

〈お気をつけ下さい〉
 園庭の樹木も緑を増し、紫陽花の花が路地を鮮やかに彩る季節となりました。
 日本の四季の移ろいや、それにつれて変化する日常の様々は、日本に住む者にとって大きな楽しみの一つです。にも関わらず、先月は、一年のうちでも最もさわやかな季節が迎えられることを楽しみにしていた人にとって、春の短さや激しい雨により、落胆ばかりを感じさせられる月になってしまったのではないかと推察しております。 とくに下旬は、東京で連日30度越えという季節外れの猛暑が続きましたし、北海道佐呂間町では39.5度という観測史上最高の驚くような気温を記録しました。本来の季節としてあるべき気候と現状が一致しない気象状況の中、本園でも衣替えの時期設定が本当にこれで良いのかと思うほどでした。
 痛ましいことではありますが、大津市では車同士の衝突事故で信号待ちしていた保育園児が事故に巻き込まれたり、市原市では公園の砂場で遊んでいた園児らの近くに乗用車が突っ込み、園児たちを庇おうとして保育士が重傷を負うなど、あってはならない事故が立て続けに起きました。事故に遭われた子どもたちやその保護者とご家族、および保育者の方々のことを思うとほんとうに心が痛みます。とくに子どもたちは、各ご家庭にとってはもちろんのこと、私たちにとっても、夢、希望、大切な未来です。すみれ幼稚園ではどの保育者も今まで以上に気を引き締めて保育に専念致しますが、園児の保護者やご家族の皆様におかれましても、登降園時や帰園後の外出の折には、くれぐれも車や自転車などに注意して下さいますよう心からお願い申し上げます。

園長・理事長 和泉耕二

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5月号

〈はじめて鯉のぼりを揚げた日〉
 今年は4月と5月にまたがって長い連休があるため、4月18日に早々と鯉のぼりを揚げることにしました。その日の昼前、鯉のぼりを見るために園庭に出ると、4匹が青空の中で、まさにこれから泳ぎ出さんばかりにかすかに体を揺らしていました。 ちょうどその時、小さな飛行機が鯉のぼりをかすめるように、南東方向に音を立てながら過ぎて行きました。地面には、鯉のぼりの影とともに朝引いたばかりの筋目跡がまだうっすらと残っていて、その天と地の対比がとても印象的でした。 先ほどまで遊んでいた子どもたちはみな教室に入り、もう外には誰もいません。園舎の方から小さな声が聞こえて来るばかりです。
 すみれ幼稚園では、当たり前のことですが、先生方が毎朝、園庭や砂場、遊具などをしっかり掃除・点検します。そして一紀先生がトンボ(T字型をした鉄の棒)を滑らせながら、園庭を何度も行ったり来たりして、1メートル幅ほどのくっきりとした筋目跡をつけてくれます。(園庭を平らに整地するための作業です)私は京の寺庭のようなこの筋目跡が、気持ちが清々しくなるので大好きです。いつまでもじっと見とれていたいのですが、その一方で、子どもたちには、早く、この筋目跡がしっかり消えてしまうほど、いっぱい遊んでもらいたいとも思っているのです。
 それはそうと、今朝揚げたばかりの3匹の鯉のぼり家族、これから子どもたちの手によってさらにその家族を増やしていくことになるかもしれません。長い連休の間に、元号が平成から令和に変わりますが、その後もしばらくの間、たくさんの鯉のぼりが園庭の空を舞うことを楽しみにしています。

園長・理事長 和泉耕二

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4月号

〈新しい年度を迎えて〉
 桜の花もほころびはじめ、あたたかな春の季節を迎えています。
園児の皆さま、ご入園、ご進級おめでとうございます。
 幼稚園の創設者フレーベルは「子どもは自ら成長する力をもって生まれる。大人の役割は自らの力で伸びようとする子どもを助けることであり、そのような子どもに何かを教え込むことはむしろ有害である」と言いました。すみれ幼稚園は、子どもが自ら成長するのを妨げないで育てる保育を心がけています。
 さて、この四月はじめに、我が家でピアノ・コンサートの機会を持ちました。マンションの小さな一室でのホーム・コンサートでした。演奏者は友人のピアニスト、アルバー・ロトさん、年齢は私より少し上ですが、そのしなやかな指から繰り拡げられる音楽は聴いている人の心を打つ素晴らしいものでした。曲目はベートーベンのピアノ・ソナタ「熱情」、リストの「超絶技巧練習曲集より『回想』」ほか、バッハやショパンの作品でした。すみれ幼稚園の全理事長・藤田芙美子先生も聴きに来られていて、終わってすぐ「ほんとうに素晴らしい。ありがとう」と握手を求められました。ロトさんはニューヨーク在住で、幼い頃からピアノを学び、ホロビッツからのレッスンを断ったことでも有名な天才ピアニスト(ジュリアード音楽院出身)です。音楽表現と見事につながっている彼の指の動きを見ながら、私は、すみれ幼稚園の子どもたちにも、指をたくさん使って幼稚園時代に育つ感覚を大いに育んで欲しいと思いました。以前にもすみれ便りに「人が外界と繋がるために大切で必要不可欠な五感は指を使ったりすることで2、3歳から6歳の頃に著しく発達する」と書かせていただきましたが、すみれ幼稚園の子どもたちには是非、折り紙を折ったり、工作や泥団子、土いじりなどをする中でゆったりと大切な感覚を育てていって欲しいと願っています。
 春休みの間、砂場、鉄棒、ジャングルジム、滑り台などどれもこれも、子どもたちの姿が見えなくてほんとうに退屈そうでした。今日から始まる楽しい幼稚園生活の中で、子どもたちが自分の気に入った遊びに夢中になりながら、日一日自ら成長していくことを心から楽しみにしています。

園長・理事長 和泉耕二

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3月号

〈子ども会によせて〉
 先月下旬頃から暖い日が続くようになりました。やっと三寒四温の季節を迎えたことで寒さに身構えることが少なくなったことを実感している今日この頃です。報告となりますが、2月16日(土曜日)に「子ども会」が開催されました。会は、インフルエンザによる学級閉鎖などで準備不足だったにも関わらず、子どもたちと保育者の努力や関係者の皆さまのお力添えのお陰で順調に開催することが出来ました。この場を借りて心より御礼申し上げます。
 さてそれぞれの演目についてですが、年少の「おはよう!ししおくん」では、どの子どももよく手を動かしたり表情豊かに、かつ返事ができるようになっていました。また年中の「おおきなかぶ」では、一人ひとりがきちんと順番を覚え、一緒に話したり行動したり、あるいは一人芸で指の器用さをしっかり発揮できていました。年長の「おおかみと七ひきのこやぎと桃太郎」では、3人のすてきな子どもナレーションに促されながら、ユニークな劇展開の中で、それぞれ得意な芸を披露しつつ、立派に役割を演じることができていました。劇中での二人の子どもによる寿限無の名前の語りは圧巻でしたし、けん玉(トメケン)では何度か失敗するも、息を呑むような静けさと緊張の中の5回目、とうとう剣先が穴に入り、ご覧いただいている皆様から拍手大喝采をいただきました。成功するまでの人前でのチャレンジはあっぱれ、他にも育ちを感じさせる出来事がたくさんありましたがここには書ききれません。兎に角、大変充実した会になっていたことをご報告させていただきます。
 気が付けば、あっという間に年度最後の月を迎え、あと一月もすると年少の子どもたちは年中、年中の子どもたちは年長、年長の子どもたちは小学校へステップアップすることになります。どの子どもたちの進級も、成長過程の目安として心から喜ぶべきことではありますが、とくに年長の子どもたちがあと少しですみれ幼稚園を巣立つことを考えるといささか寂寥の念を禁じえません。この3月はとくに年長の子どもたちと保護者にとっては、慌しく落ち着きのない日々になることとは思いますが、子どもたち同士はもちろんのこと、ぜひ大好きな先生方と素晴らしい思い出をいっぱい作って欲しいと思います。

園長・理事長 和泉耕二

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2月号

〈サッカーと音楽会〉
 一年でもっとも寒さの底とは立春(今年は2月4日)の頃だとか、すみれ幼稚園も2月を迎えます。寒さは募るのに、光の量が増えて来ているせいか外は明るさを増し、春が近く感じられて心弾みます。
 先月1月23日は、年長の子どもたちがFC東京のコーチの皆さんの指導によりサッカーを楽しみました。東京都サッカー協会主催 の巡回サッカー教室でしたが、1時間の間、初めはボールを持って鬼ごっこ、それからドリブルやゴールキーパーの練習をし、最後には保育者チームと子どもたちチームとに分かれて試合を行うという、充実した時間を過ごしました。コーチの皆さんは、子どもたち一人ひとり名前をしっかり呼び、チャンスがあればすぐ褒めてくれるので、初めは傍らでこわごわ見ていた何人かの子どもも、終わるころにはすっかりサッカーに夢中になっていました。
 26日には「親子で楽しむ音楽会〜箏が奏でる和の世界〜」(自由参加)を開催しました。箏の名手、黒川真理さんと仲間の池上亜佐佳さん、そして黒川真理さんの娘の村松玲美さん(年中児)を迎え、古典の名曲「五段砧」や宮城道雄作曲「瀬音」など本格的な邦楽作品と演奏を鑑賞することが出来ました。
 最後には、70人近い来場者の前で、本園の年長のMちゃんが「どうしたらそんなに上手になれるのですか」や、年中のMちゃんが「どうして着物で演奏するのですか」と間髪を入れず質問していました。その場にいた園長の私は、それを聞いて、なぜか大変嬉しくなりました。何はともあれ、スポーツと芸術の両面で、楽しくて充実した時間を過ごすことが出来たことは何よりです。

園長・理事長 和泉耕二

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1月号

<夢を語る>
新年明けましておめでとうとございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
 新年には、誰しもが、気持ちを新たにして自由に夢を語ることが許されているようですので、私もこの場を借りてそれを語りたいと思います。
 それは「すみれ」の子どもたちがみんな良き言葉の使い手になることです。もちろん今すぐでなくて構いません。ずうーっと先の成長した暁に、「すみれ」に在園した子どもたちが、思いのこもった相手に届く言葉を使える人、思考に支えられた言葉を思慮深く扱える人になっていることです。それが本当に実現したらどんなにか素晴らしいことでしょう。
 学校法人吉田学園すみれ幼稚園を設置された元・理事長兼園長の吉田悦子先生は在職中、いつも丁寧できちんとした言葉を話すよう努められたと聞いています。例えば、門扉の前での子どもたちへのお帰りの挨拶は「ご機嫌よう」だったとか。今「ご機嫌よう」のような言葉が、生活の中で生きた言葉として使われることが可能かどうかは分かりません。ただ生活の節目などでそれにふさわしい言葉をきちんと選んで使うことができることは素晴らしいことです。またさらに、自分の考えや思いを象った言葉を用いて、伝えたいことを伝えたい相手にきちんと伝えることができるようになれたら、それはもっと素晴らしいことではないでしょうか。幼稚園はまさにそのスタート地点です。
 つい最近テレビを観ていたら、医者の鎌田実さんが「いい言葉を話す人は良い人生を得ることができる」などのようなことを話していました。私はその話を聞きながら、脳裏にすみれ幼稚園の子どもたちのことを思い浮かべつつ「なるほどそうかも」と思いました。

園長・理事長 和泉耕二

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12月号

〈秋の園外活動〉
 あっという間に気忙しい師走を迎えることとなりました。すみれ幼稚園も今月はお餅つきやクリスマス会の行事などがあり、忙しい月になりそうです。
 さて先月11月中旬のことですが、年長の子どもたちは「秋を探そう」というテーマで、落ち葉いっぱいの井の頭自然文化園へ出かけました。公園に着いてから、子どもたちは思い思いの秋を探し出し、みんなでお弁当を食べたあとたくさん楽しく遊びました。
 その遊びの報告となりますが、ある子どもたちは枯葉の山を作り、そこに誰かが身体を投げ出すと、周りの子どもたちが思いっきり葉っぱで埋め合ったりしていました。別な場所では、男女三人の子どもたちが枯葉の絨毯の上に、どっかと仰向けに寝転び、誰かが空を見ながら「あの雲、大好き」と大声で言いました。どれもこれも絵になる素敵な晩秋の光景でした。
 少し離れた所で、K君が1メートルほどの高さの切り株を見ながら、その上に登りたいと言い出しました。少し高いので、私が手伝って切り株に乗せてあげると、今度は下に飛び降りたいと言い始めました。私は「ようし、やってみようか」というと、はじめは少しためらっていましたが、やがて思い切り下へ飛び降りました。そうしたら、それを見ていた他の子どもたちも、自分も切り株から飛び降りたいと言い始め、それからは男の子も女の子も切り株に上がって次々と一気にぴょんぴょん飛び降り続けました。
 子どもたちはジャンプが大好きなようで、どの子どもも切り株に上がったり飛び降りたりしている間、ワクワクしっぱなし、まるで気持ちが開放されて無心状態の中にいるようでした。実は私は、このときめきにも似たワクワク感と言うか、余計なことを考えず、無心でワクワクしながらそのことにのみ集中する感覚は、人間の生涯を通して大変大切なものの一つだと思っています。
さらに言うなら、人生を実のあるものにするための魔法の杖のようなものとさえ思っています。
 子どもたちには、すみれ幼稚園にいる間、様々なシーンでこの感覚をたくさん体験し、心身の中にしっかり定着させることで大人になってからもいつもこの感覚を呼び起こせるようになって欲しいと思っています。

園長・理事長 和泉耕二

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11月号

〈運動会のご報告〉
 気の早いことですが、もう11月、今年もあと2ヶ月を残すばかりとなりました。
 報告となりますが、先月20日、すみれ幼稚園の秋の大イベントである運動会が開催されました。場所は武蔵野総合体育館サブアリーナ。夏前から教職員はすぐ運動会の内容や段取りの準備をはじめましたが、保護者の皆様のおおきな協力もあって首尾よく終えることが出来たように思います。この場を借りて、保護者の皆様や会場に足をお運びいただきました皆様に心から感謝を申し上げます。
 運動会が始まるまでは心配も少なからずあったのですが、始まってしまえば、もう運動会はすぐ子どもたちの手に移ってしまったかのようで、まさに主役は子どもたちでした。
 リレーで全力疾走するひたむきな姿や組体操でボーズを決めた瞬間の得意そうな表情に子どもたちの確かな成長を感じ取ることもできましたし、綱引きなど保護者参加による競技での、子どもたちの我を忘れての応援の様子は、教職員にとっては、普段は見ることの出来ない貴重で素敵な風景でした。
 何と言っても格別だったのは、いつもはマシュマロのようにやわらかで型にはまることのない自由な子どもたちが、人目にみずからを晒しながら、緊張や恥ずかしさを乗り越えつつ、すべきことをこなして行く姿でした。
 さて、これから寒さが少しずつ身にしみ始めますが、自然はさらにゆたかな彩りをもたらします。私たちも運動会でいただいたさまざまな贈り物を糧にしながら、子どもたちと季節の変化に目を向けつつ、深まる秋を楽しんで行きたいと思います。

園長・理事長 和泉耕二

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10月号

〈ゴーシュと自己肯定感〉
空気も日毎に秋めいて参りました。いよいよ10月を迎えます。10月20日には楽しい運動会が開催されますので、子ども、保育者共々それに向けて健康に注意しながらしっかり備えたいと思います。
 ところで9月の中頃、降園前の年長クラスにふと私が顔を出したところ、丁度何回かに分けての「セロ弾きのゴーシュ」の絵本の読み聞かせを始めるところでした。それを見て、私は一瞬、年長には難しいのではと思ったのですが、O先生が読み聞かせを始めると、子どもたちは私の思いに反し集中してその話を聞いていました。子どもたちの柔軟さには本当に驚かされます。その回はネズミの親子が出てくるところでしたが、次回も大いに楽しみな子どもたちは「次にどんな動物が出てくるの?」と興味津々の様子でした。
 この童話のあらすじについてはご存知の方も多いと思いますが、いつも楽長からこっぴどく叱られ、音楽団の仲間から嘲笑を浴びせられている、下手で自信のないチェロ弾きのゴーシュが、最後に、冷やかしで勧められた演奏会のアンコールで「インドの虎狩り」を見事に独奏し、皆に賞賛されて自信を取り戻す、そして己の至らなさを深く反省するというものですが、この読み聞かせを聞いていているうちに、9月の合同保護者会での副園長のお話(「自己肯定感について」)を思い出してしまいました。つまり「セロ弾きのゴーシュ」とはまさに自己肯定感についてのお話ではないかということです。
 自己肯定感とは大まかに言えば、「自分に取り柄がある」とか「自分を誇りに思う」とかいう人間の基底的な感情あるいは気分のことであり、「自己肯定感が高いとか低い」という表現によって表される感覚的自己認識のことでもあります。この「自己肯定感」を高めるためには、他者から認められたり、必要とされたり、褒められたりすることが何よりも大切な訳ですが、そういう意味では、様々な関係性に満ち溢れた幼稚園は「自己肯定感を高める」ためにはうってつけの場所ということになります。しかも「自己肯定感を高める」ということは、ある種の刷り込みに近い側面もあるため、私も「セロ弾きのゴーシュ」のことを思い起こしながら、保護者の皆様と一緒に機会を見つけて、子どもたちを大いに褒めたいと思っているところです。

園長・理事長 和泉耕二

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9月号

2学期が始まりました。長い夏休みの間、子どもたちや保護者の皆さんはどのように過ごされたでしょうか。
 私はお盆に合わせて実家の墓参りに行き、お参り後の法要にも参加して住職さんのお話を聞いてきました。住職さんが、盆に載せた細い木串のようなのものを刺した4本足のキュウリとナスを私たちに見せながら、「これを知っていますか。これは息子が作ったものです。キュウリは馬で、ご先祖様がこれに乗って早くこちらへ帰って来られるようにと、ナスは牛で、ご先祖様が向こうに出来るだけゆっくりお戻りになられるようにと願って作るのですよ。信じるか信じないかは別として、このような思いが人間には大切だと思って息子に作らせました」とお話されました。古くから伝わる日本のこの民俗行事(盆棚飾り)の話を聞きながら、私は、ケルトの国、アイルランドで今でも実際に使用しているという道路標識「妖精(レプラコーン)横断中」のことを思い出していました。
 このような先祖伝承の話の魅力については、私がそれを解説する事は荷が重すぎるのですが、ただ、この類の言い伝え(伝統行事)の中に、人の心の深いところにある「怖れや畏敬の念」のような人間らしさの元になる大切な感覚を養う働きがあるように思えてなりません(心の眼や風景を育てるとでもいったらいいのでしょうか)。
 私は決して迷信や非科学的であることを勧めたりするつもりはありません。当たり前の事ですが、月にウサギはいません。しかし、そうと分かっていても、美しい満月を見ていると、時としてウサギがいてもいいような気がしたりして来て、ついしげしげと夜空を見上げてしまったりするのですが、それは私だけでしょうか。
さてもう秋です。そういえば、今年の十五夜は9月24日だそうです。子どもたちにも、澄んだ空気の中で、ススキを飾ったりお団子を備えたりしながら思い思いの空想とともに、ぜひ仲秋の名月を楽しんでもらいたいものです。

園長・理事長 和泉耕二

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7月号

オルフ楽器のこと
 今年3月の卒園生保護者の皆さまから、オルフ楽器(アルトシロフォン)を一台ご寄贈いただきました。オルフ楽器はドイツの作曲家カール・オルフがバイエルン地方のラジオ放送《子どものための音楽》を制作するにあたって、楽器製作者と協力しながら作り上げたもので、木琴、鉄琴、太鼓、シンバル、トライアングル、鈴などの打楽器中心の合奏楽器です。シロフォンは、子どもたちが2音、3音のわらべ歌を容易に演奏することから始められるように音盤がとりはずせるようになっています。
 2週間ほど前からミレドだけの音盤を用意したシロフォンを年長クラスのコーナーに置きましたところ、子どもたちは何の苦も無く今楽しんでいるわらべ歌《なべなべそこぬけ》を弾くことができて、かわるがわるに演奏を楽しみました。次に、子どもたちが自由に遊んでいる時間帯に私がクラスを訪ねて、コーナーにあったシロフォンにラの音を加えて《ほ、ほ、ほたるこい》を弾きました。すると、そこに居た子どもたち全員が手を止めて耳を澄まし、拍手をしたのです。そればかりでなく、一人の男児が駆け寄ってきて、1オクターブ高い位置に用意されたミレドラの音盤を使って私と一緒に何度も弾きました。こんなに単純な音でできたわらべ歌の旋律に子もたちが耳を傾けたこと、弾きたいと思ったこと、直ちに弾けたことに私は心底驚かされました。子どもたちの音楽を捉える力はすごいと。
 幼稚園はシロフォンをもう一台購入しました。すみれの子どもたちがこのシロフォンで、どんな合奏を、どんな音楽づくりを始めるかとても楽しみです。

理事長 藤田芙美子

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6月号

すみれ幼稚園とアニカ人形
 すみれ幼稚園年長クラスのコーナーに、それは愛らしい着せ替え人形のアニカがいるのをご存知でしょうか?アニカは今から5年前に、制作者の江島道子さんが、すみれの子どもたちにプレゼントしてくださったお人形です。
 制作者の江島さんは、アニカの生活背景を次のように想定しました。アメリカ、サンフランシスコ近くの自然に恵まれた丘陵地帯、ポートラ・バレーに暮らしている小学生で、木に登って美しい景色を見渡すのが何より好きな女の子、です。
 4年前の年長クラスの子どもたちにアニカを紹介すると同時に、このお話をしましたところ、子どもたちは、アニカの素敵なドレスの着せ替えや、ままごと遊びを楽しむばかりでなく、どんどんイメージをふくらませ、何週間もかけてアニカの妹や家、庭には大きな木も作り上げました。以来、アニカは子どもたちの行くところ、どこにでも行くようになりました。園外保育も、卒園式も一緒でした。
 この活動には先生方も加わりました。福永先生はアニカのために、恰好いい、すみれ幼稚園の制服を作り、私はマントを編みました。
 江島さんは、以前はIT企業第一線で世界を駆けて活躍する経営コンサルタントでしたが、ご長男の子育てに直面して、子どもは両親の暖かい愛情のもとで育てなくてはならないと気がつき、在宅でもできる仕事であるアニカ人形の制作、販売事業を立ち上げました。もともと手仕事が大好きであったことと、子どもの頃、お母さまが作ってくださった布の着せ替え人形の思い出が忘れられなかったからだそうです。
 江島さんのお母さまが私と同級生という縁もあって、平成26年1月には、江島さんにすみれ幼稚園で『手作りの子育て』というテーマで講演していただく運びとなりました。「子育ては手づくりで」という江島さんのメッセージに保護者の皆さまも教員たちも深く共感し感銘を受けました。残念ながらアニカクラブは昨年をもって閉じることになりましたが、江島さんが世に投げかけた「手づくりの子育て」というコンセプト、そして質の高い制作品は、すみれ幼稚園の生活に今も溶け込んでいます。今年の年長クラスが、アニカとどのような心の交流をするのか、アニカをめぐってどのような創作が生まれるかがとても楽しみです。

理事長 藤田芙美子

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5月号

 5月です。一年でもっとも爽やかな季節を迎えました。園庭では鯉のぼりが元気に空を泳いでいます。ホールには、端午の節句のお祝いとして鎧兜を飾りました。
 新学期が始まってまだ一ヶ月未満、きっと、入園したばかりの子どもたちは、まだ〈ドキドキとした朝の登園〉に違いありません。それでも多くの子どもたちは笑顔の登園です。私もこの一年の幼稚園生活で、自分がとても元気になっていくのに気が付きました。考えてみるとその理由はいくつかあります。例えば、3階の園長室まで階段を何度も上り降りすること、あるいは子どもたちに巻き込まれて園庭でつい身体を動かしてしまうこと、でもいろいろと考えてみると、その一番大きな理由はどうやら子どもたちの笑顔であることに思い至りました。
 子どもたちの笑顔はまさしく宝物です。「子どもは心を許しているからこそ相手に笑顔を向ける」と聞きました。ですから私ににっこりと笑いかけてくれる子どもたちには心底感謝せずにはいられません。なぜなら、そのお陰で私ははからずも、子どもたちの笑顔につられて嫌な事も忘れ、その度に心の何処かがふわっと開いて、気が付いたらとても元気になっていたという訳ですから。
 笑うことはとても大切です。「親がよく笑う家庭ではよく笑う子どもが育つ」とも言います。是非、すみれ幼稚園も、笑顔や笑い声に満ちている場所にしたいものです。

園長 和泉耕二

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4月号

〈新しい一年を迎えて〉
 新入園の皆さん、ご入園おめでとうございます。慣れない初めての幼稚園生活ですが、少しずつお友だちを作ったりしながら、慌てずゆっくり幼稚園に慣れていきましょう。先生たちは一生懸命応援して下さいます。それから年中や年長の皆さんは、昨年より一つだけ、お兄さん、あるいはお姉さんになりました。年下の弟たちや妹たちも出来ましたので、是非やさしく遊んであげて下さい。皆でこの新しい一年を元気いっぱい楽しく過ごしましょう。
 さて道を歩いていると、あちこちの花壇や広場にはチューリップやマーガレットなど春の花が色とりどりに咲き競っていて、少し目を上げると、木々はいつもより早く、浸みるような萌黄色の葉群れを風に揺らしています。道行く人の表情にも、少し前とは違ったほっとした気分が漂っていて、何もかもが新しい季節の到来を知らせてくれています。
 長い間冬の寒さで固くごつごつしていた幼稚園の園庭や砂場も、今日この頃は春らしい柔らかさを取り戻しました。子どもたちが遊んでくれるのを今か今かと心待ちにしているようにさえ感じられます。砂場や園庭は子どもたちにとって大変大切な場所です。そこでは好奇心を育んだり、創造性や問題解決能力を身につけたり協調性を養うことができるからです。ここのところ静かだった砂場や園庭で、子どもたちがまた思う存分遊ぶことを私も心待ちにしています。

園長 和泉耕二

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3月号

 1月から2月は大変行事の多い月でした。1月はプレイデーの収益金による「ひとみ座人形劇」に始まり、続いてFC東京の皆さんによる「サッカー巡回指導教室」、2月には、各クラスの保育者がこの一年間、計画・実践して来た日々の遊びの中からクラスごとに小劇を仕立て上げ、保護者の皆様方にご覧いただく「子ども会」。2月の下旬には、民間でもっとも古い130年の歴史を持つ小野雅楽会の協力を得て、〈親子で楽しむ音楽会「雅楽のひびき」〉を開催。今回の〈すみれ便り〉ではこの催事について報告させていただきますが、〈武蔵野市子育て支援地域開放事業〉であったため、園児たちは自由参加でした。しかし、たくさんの子どもたちが保護者の皆様とともに参加し、約1400年の歴史を持つ雅楽の演奏と舞を味わいました。この奈良・平安の音を聴いた子どもたちは、はじめびっくりしたり、泣き出したりする子どももいました。しかし、演奏が終わった後、小野雅楽会の石井さんが舞台の前まで子どもたちを呼び寄せると、子どもたちはサアッーと集まり、石井さんが差し出した楽器を、身体をのめり込ませながら食い入るように見ていました。
 最後の石井さんの「何か質問ありませんか」のコーナーでは、子どもたちは目をキラキラさせながら特に年長の子どもたちが「はい、はい、はい」と競うように手を上げていました。「踊るとき手に持っていたのは何ですか?」「あの太鼓(実は金属楽器の鉦鼓)はなぜ他の太鼓と違う音がするのですか?」「あの大きな太鼓の絵は何?」などなどの質問を聞きながら、子どもたちにマイクを向けていた私は、上手く言葉に出来なかったりすることを怖れず、自分の思ったことを積極的に発言するすみれの子どもたちの逞しさに大いに感心致しました。
 もう春です。この季節を迎えて園庭の草木が自分の芽吹きを伸びやかに成し遂げるように、どの子どもたちも、次のステージに向けて決して急ぐことなく、じっくり、ゆっくり、たっぷり成長して行くことを楽しみにしております。

園長 和泉耕二

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2月号

〈儀我先生のご本〉
 気象庁によりますと今冬の寒さは大変厳しく、東京でも43年ぶりの冷え込みだとか、1月22日から23日にかけては、武蔵野市一帯でも大雪に見舞われました。
 降雪の日の朝は、すみれ幼稚園では止むを得ず自由登園と致しましたが、幸い登園できた子どもたちは、その目が、深々と積もった園庭の珍しい雪に釘付けとなっていました。その後、雪だるまやかまくら、雪の滑り台など思い思いのものを作り、それぞれが滅多にない雪の感触を大いに楽しみました。
 ところで報告になりますが、昨年12月、本園の監事をしていただいている儀我和代先生が著作本を上梓されました。「成長の芽を伸ばす育て方」(創英社/三省堂書店)という題名の本ですが、その内容は先生が日々書き留められていた子育てにおける様々な考察をまとめられたもので、「人間について」「乳幼児期のひとの発達」「しつけ」「教育」他について章立てて書いてあります。私が通読させていただきましたところ、子育てにおける手がかりや秘訣が本文の随所に明快に記されており、子育てに関して悩みや迷いをお持ちだったり、ヒントを求められたりしている方には是非一読をお勧めしたいと思うほどでした。
 先生から近々私もお話を伺いたいと思っていたところでしたが、実はいま先生は、急なご病気のため入院加療中です。この場をお借りして、先生のご本の出版にお祝いを申し上げますとともに、先生の一日も早いご回復をお祈りさせていただきます。

園長 和泉耕二

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1月号

 新年明けましておめでとうございます。
 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
 東京は天候に恵まれた穏やかな元旦でした。私のお正月第一日目は、近くの寺社に初詣した後、家内が用意してくれた御節をいただくことから始まりました。
 お正月は、私たちの先達が大切にしてきた年中行事の最たるものの一つでありますが、この日を迎えると何故か清々しい気持ちになり、心が引き締まるのが不思議です。お正月ということで久しぶりにゆったりとした時間に恵まれたので、ゆったりついでに私も「伝統・文化」のことについて少し考えて見ました。そして考えて行くうちに、「伝統・文化」というものは私たちが地上にまっすぐ立つために必要な重力と同じような働きをしているのではないかということに思い至りました。つまり「伝統・文化(年中行事)」が私たちの心のあり方に対して重力に似た働きをしているのではないかと、私たちはそれがあるからこそ、その重力の中で思い、考え、感じることが出来るのだと、それは人の心を育てるのに大変大切なことで、だからこそ幼稚園では、季節感と深く関わる伝統・文化を反映した年中行事を大事にしているのではないかと思うに至りました。
 新年早々少し重い話を書いてしましたが、すみれ幼稚園も新しい年を迎えました。これからも教職員ともども子どもたちのそれぞれの思い、考え、個性を大切にしながら季節感溢れる年間行事としっかり関わって行きたいものだと考えています。

園長 和泉耕二

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平成29年

12月号

あっという間に師走を迎え、新年まで後一ヶ月を残すばかりとなりました。園庭の裸になった樹木は芽吹きを内に宿しながら寒さをものともせず屹立しています。その姿は、少しずつ成長している子どもたちの内なる姿とどこか重なるように思えてなりません。
 さて、11月下旬、二日にわたって「園長・リーダー研修会」に参加してきました。大変長くて濃密な研修会でしたが、その最初の講演で、副理事長のA先生が幼稚園と保育園の違いについていくつかお話されました。その一つとして「幼稚園には園庭があることが義務づけられていて、保育園にはそれがない」ということを挙げておられました。さらに「子どもが育つためには友だちとのぶつかり合いが必要だ。子どもは集団の中から自己認識をし、そのためには群れ遊びが必要である。現代では昔どこでもやっていたカン蹴りあそびなどができない。幼稚園はその代替的な遊びが出来る場所であり、私たちにとって大切な民主主義を育てる初めの場所が園庭を備えた幼稚園である」というようなことをお話しされていました。これを聞いて、私はあらためて園庭の持つ深い教育的価値や意味を思い知らされたような気がしています。団塊世代の私が育ったのは北上川河口の町で、その当時とにかく近所に子どもがたくさんいました。かけっこ競争をしたり、相撲を取ったり、考えてみればいつも擦り傷だらけだったように思います。
 これから寒い日が続きます。すみれの子どもたちがこの園庭で、風の子のように大いに遊び、友達と擦れあいながら将来に備えてたくさんのことを身に付けていくことを心から願っています。

園長 和泉耕二

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11月号

〈歌が生まれるとき〉
 10月下旬に入ったばかりの雨の日が続く頃でした。青い空のもと園庭で遊ぶことが大好きな子どもたちは外へ出ることもできず、それぞれの保育室で様々な遊びとともに時を過ごしていました。私がたまたますみれルームを覗いて見たときのことです。中では、N子先生が昨年から時間をかけて集めた葉っぱを使いながら、子どもたちがN子先生と一緒に葉っぱのスパッターリングに取り組んでいました。両手を赤や青、緑色に染めながら、子どもたちは次々と何枚もの新聞紙半分くらいの大きさの、葉っぱのスパッターリングを完成させていきました。感心したのはその作業の速いことと同じものを作らないことでした。
 お昼も近いのでそろそろ作業を終えようかという辺りの出来事でした。不意に年長のM子ちゃんが「おしまい!手がぐちゃぐちゃ(ラソラ ラソ ラ ソソ ラ)」と歌い始めました。そうしたらもう一人の子どもも歌い出し、あっという間にみんなが「おしまい!手がぐちゃぐちゃ」と、何回もシンクロナイズ(同期)しながら、大声で歌い続けました。それはまるで昔から歌い継がれているわらべ歌か仕事歌のようでした。
 このような、絶好のタイミングでその場に最もふさわしい歌(の切れ端)が一人の子どもによって瞬発的に生まれ出ることやそれが子どもたちみんなによって一瞬にして記憶とともに歌唱されることへの驚きは、私が今まで経験したことのないものでした。

園長 和泉耕二

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10月号

〈すみれ惑星〉
 台風18号が日本縦断をする数日前の、かすかに頬を掠める秋風を感じるころ、門扉の傍のプラタナスの木の下で、先生と子どもたち数人が集まって泥団子を作っていました。その中でN子ちゃんが、ひときわ大きい泥団子を、指と手のひらを器用に使いながら作っていました。あまりに立派なので私は思わずそれを写真に納めたのですが、後でその写真をズーム・アップしてみたら、なんとそれは宇宙のどこかに浮かぶ惑星のようでした。何人かの先生にそれを見せ「これ、なんだと思う」と尋ねたら、答のほとんどが「月?木星?惑星?」でした。いつもすみれ幼稚園の子どもたちは、庭でも教室でも、それぞれ自分の気に入った遊びに夢中です。ですから、当然、泥団子を作る子どもたちも一心不乱です。作っている時の表情を見ていると、まるで、コロコロ、クリクリ、泥を丸めながら自分の心の中までまん丸く丸めているようです。
 そういえば、人が外界と繋がるために大切で必要不可欠な五感(視・聴・嗅・味・触覚)は、2、3歳から6歳の頃に著しく発達するとのことです。泥団子作りはきっと、ピアニストやヴァイオリニストが敏感な指先の感覚(触覚)を幼い頃から育てるのと同じくらい大切な行為であり、人に備わった直観や皮膚感覚などもこのような作業の中で磨かれて行くに違いないと、N子ちゃんたちの泥団子作りを見ながら認識を新たに致しました。

園長 和泉耕二

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9月号

 7月18日マーガレット組の子どもたちとお泊り保育に出かけました。バスが森林の中に佇むすみれ山荘に着くや否や子どもたちは歓声を上げて、きれいな空気をいっぱいに吸い込み、解き放たれように山荘の庭を駆けめぐりました。標高1000mのすみれ山荘は、涼しい風と澄んだ空気に包まれた別天地です。私も早速に数人の子どもたちを誘って周囲の自然探索に出かけました。蝶や虫を追いかける子ども、道端に咲く珍しい野の花や山草に心を寄せる子ども、いろいろな種類の松ぼっくりを集める子ども、子どもたちの興味はさまざまに広がります。
 私が、ホタルブクロやキンポウゲ科の黄色い花、野菊などを摘んで花束を作りはじめますと、子どもたちは、草むらに目を凝らして、白いギボウシなど珍しい花を見つけ出してはその花束に加えます。花だけでなく、猫じゃらしやイネ科の草も。
 集めた野の花は山荘に持ち帰って食卓に飾りました。この日の夕食は、野の花を近くに眺めながら、楽しかったお散歩の話題で華やぎました。
 翌日は、前日に摘んだ野の花で押し花の‘しおり’作りをしました。型通りの私の作品に比べて、子どもたちの作品は独創的で意表をつく素晴らしいデザイン。葉っぱの上に花を重ねたり、小さい葉を散らして花にあしらったり。子どもたちの手にかかりますと、どこにでもあるイネ科の草も、思いがけない造形の美が引き出されます。
 ‘しおり’づくりに陶酔する子どもたち、その手際の良さ、見事な造形力を目のあたりにして、ピカソが晩年に語った「やっと子どものように描けるようになった」の意味をはじめて知る思いがいたしました。このようにきらめく才能を秘めている子どもたちの今をしっかり見つめて大切に守り育てたいと思いました。

理事長 藤田芙美子
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7月号

<6月の子どもたち>
通りの脇の小さな敷地に身を寄せて咲いていたり、塀からひょっこり顔を覗かせている、水色、紫、白色の紫陽花たち、しかしよく見ると、そうとも言い切れない味わいある色彩を帯びていて、まるで個性豊かな園児たちのようです。
 このすみれ幼稚園でも、6月の子どもたちは大変元気でした。園庭で虫取りに熱中したり、水遊びに精を出したり、砂場では想像力を働かせながら、大きな川や湖を作り、ダムにしたり橋をかけて舟を浮かべたりと、思い思いの遊びで大忙しでした。
 近くの公園まで園外活動に出かけたときのことです。誰かがカメムシを見つけました。そのカメムシは大きかったので、特に男の子たちは眼を輝かせ、カメムシをいじりはじめました。当然、慌てたカメムシはひたすら逃げようとします。ある男の子はカメムシの背中を押してみたりして、他のことは眼中にないほど集中していました。ところが、別の男の子が上から何度も砂をかけはじめ、カメムシが埋まって見えなくなると、A子ちゃんが突然「ダメ、そんな風にしたら死んじゃう」と、必死な声で叫びました。結局、カメムシを小さな小枝に乗せて、みんなでサヨナラしながら草むらに逃がしてあげたのですが、私は、子どもたちの心の中に、自然に優しさや気遣う力が働き、最後に良い形で落着したことに安堵しながら、そんな風になれる子どもたちをとても頼もしく思いました。

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6月号

 園長になり、園児とともに過ごしてまだ2ケ月、園内で体験する様々な出来事に目を見開かされています。
 4月最後の週の出来事でした。空に舞う3匹の親子鯉のぼりが一挙に7匹に増えた日の朝、登園した園児のひとりが、門を入ってしばらく、中空に泳ぐ鯉のぼりを見ていました。その後「お母さん、見て。あれ、僕が作った鯉のぼりだよ!」と目を輝かせながら、増えた鯉のぼりの一つを指差しました。
 実はその数日前、年長の子どもたちがそれぞれの部屋で、大きな用紙2枚ずつに、思い思いの模様を書き、その中やまわりなど用紙いっぱいになるまで色付けしていました。私からすると、どの用紙も大人の予想を越えたユニークなものばかりで、そのときの子どもたちの集中する姿や積極的な関わり方を目撃したこともあって、それだけで充分なことと思っていました。ところが、その用紙が、数日後、鯉のぼりとなって園庭中空を舞うことになったという訳です。
 私の専門は作曲です。作曲したものが会場で演奏され、それが大きな拍手で迎えられたときの達成感は何ものにも代え難いもので、次につながるものですが、その満足感と、自分が描いた鯉のぼりが空に清々しく舞うのを見届けた子どものその嬉しさは、まったく同じなものなのではないかと思いました。もちろん、指差しをしなくとも、どの子どもたちも、同じような気持ちで鯉のぼりを見ていたに違いありません。
という訳ですが、このような「行為(何か行うこと)」と「結果(それが認められること)」によってもたらされる満足感(あるいは達成感)は大変大切なことです。このような体験を、貴重な幼稚園時代に繰り返し経験することは、感動する力や創造的意思を子どもたちの中にしっかり育むことにつながるに違いありません。大変楽しみなことです。

園長 和泉耕二
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【報告】

 去る5/13(土)14;00〜15:00本園ホールで「親子で楽しむ音楽会〜パリの響きをすみれ幼稚園で」を開催。演奏者は、パリの国立管弦楽団で活躍するフルートのトーマ・プレボウさん、ヴァイオリンの澄子・破魔さん、そしてプラハでソロ、室内楽奏者として第一線で活躍するピアノのミロスラフ・セケラさん。破魔さんの「日本の子どもたちに本物のクラシック音楽を」という強いご意思とご好意から、このコンサートは実現の運びとなりました。
 プログラムは、スメタナ《コンサート・エチュード》ボルヌ《カルメン・ファンタジー》 フランク《ヴァイオリン・ソナタ》など、クラシック音楽珠玉の作品の数々。気品のある完璧な演奏に会場を埋めた子どもも大人もうっとり。本物のクラシック音楽を満喫いたしました。「トーマさんのやわらかで豊かな音色が、いまも頭のどこかで響いている」「音楽的な至福のひとときを過ごすことができた」など喜びの感想が次々と寄せられています(藤田記)。

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4月号

 陽の輝きが嬉しい季節になりました。新入園児の皆さまご入園おめでとうございます。在園児の皆さまご進学おめでとうございます。
 すみれ幼稚園は、子どもたちが、暖かく美しい環境とゆったりとした時間空間の中で、お友だちや先生方との楽しいふれあいを通して、人間として生きるための基礎的な感覚を養い、それぞれの個性を育むことを保育の目標としています。
 先日行われました卒園式の日に、卒園生のお母さまから次のような一通のお手紙をいただきました「・・・四季を感じられる遊び、日本の伝統行事、伝統芸能、食へのこだわり、そして何よりも日常の美しさをみつけられるような、ゆったりとしたすみれ幼稚園の保育は本当に質の高いものだったと思います。化学肥料のように即効性のある栄養ではないけれど、有機栽培のように、ゆっくり染みわたり、子どもたちの芯を太く健全に育ててくれました」  まさに、私どもが日々の保育で心がけたいと願っておりますことを深くご理解いただきましたお言葉で、これからの私どもの保育の大きな励みとなりました。感謝を込めて、ここにご紹介させていただきます。

園長の交替について
 平成26年10月から副園長を経て園長を務めてくださいました出田和子先生が平成29年3月31日付でご退職になりました。暖かく熱心に保育に当たってくださいました先生に心から感謝の意を表します。
 代わりまして、平成29年4月1日より和泉耕二先生が園長に就任いたしました。どうぞよろしくお願いいたします。

理事長 藤田芙美子

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平成28年

12月号

 園庭もすっかり冬景色となり、柚子の木には、黄色に色づいた実が沢山なりました。木の下で実を見上げる子どもたちは、柚子ジュースをいただくのを楽しみにしているようです。 今年もあと僅か1か月を残すところとなりました。
 11月22日の午後、ホールでおもちつき係りの説明会が行われました。ホールでは、パンジー組の子どもたちが食事を終え、食後の時間をゆったりと過ごしていました。会場設営準備に一紀先生が椅子を出し始めますと、何人かの子どもたちが集まり一生懸命に椅子を並べ始めました。どの子もお手伝いをすることが嬉しそうではりきっています。横9脚・縦4列に並び終えそれぞれの遊びへもどってゆきました。I君とY君は最後まで残って、「何か変だね。」「形が違うよね。」と言いながらそれぞれ横9脚の数を確かめて、並んでいる椅子を真剣にきちんと揃えていきます。すると、「わかった!! ひとつ足りないんだ。」椅子は全部で35脚、前列に1脚足りないことに気づきました。そこには大人の期待以上に整然と並べられた椅子があり、満たされたふたりの笑顔がありました。
 実際の生活から学ぶこと、また自主的に取り組むことから味わえる達成感の大切さを改めて思いました。

園長 出田和子

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11月号

週報
 寒暖が入交り不安定だったお天気もようやく治まって、野山の紅葉が美しい季節になりました。二学期に入って一段と成長した子どもたちは、心地良い秋の陽ざしの中で遊びに没頭しています。
 さて、9月最終週から年中クラス担当の教員たちが、これまでのクラス便りに替えて保護者の皆様に向けた週報の発行を始めました。その週の子どもたちの活動を写真と記述でA3用紙2枚にまとめて掲示いたしております。子どもたちの活動と成長の記録は、これまでもクラス単位で行っていましたが、その記録をクラス以外の教員とも分かち合い、保護者の皆さまにもお伝えしたいという願いから、この週報は生まれました。週報作成は、保育の質の向上のために多くの効用をもたらしています。教員たちは、子どもたちの日常の生活や活動をこれまで以上に注意深く観察記録し、さらには各自の記録を持ち寄って保育の振り返りと、次の保育の進め方について議論を重ねています。子どもの活動をそれが生じた場面とともに、あるがままに記述した観察記録から、子どもが自ら学ぶ姿、育つ力を発見し、確認し、さらなる育ちをうながす環境を考え工夫するという作業は、教員たちにとって、深く子どもを理解することにつながる、やりがいのある楽しい協同研究の場でもあります。すみれの子どもたちはすみれの教員たちみんなで育てようという頼もしい協力関係が生まれています。
 新しく始まった週報が、保護者の皆さまと教員たちとの、子どもの育ちをめぐる楽しい意見交換の場としても発展することを願ってやみません。 

理事長 藤田芙美子

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10月号

お月見
 お月見の9月15日が過ぎて16日のことです。つぼみ組の2歳児Mちゃんが粘土をまるめて「お月見のお団子!」とつぶやいているのを聞いて保育者Kが問いかけました。「夕べお月さま見た?」Mちゃん「見たー」すると隣にいたKくんが「僕みたよ、お団子をかざって、ベランダで見た」と答えました。この会話を聞いていた私は、Kくんがご家族と一緒にベランダに出てお月さまを眺め楽しむひとときを思い、なんとゆとりのある幸せなご家庭なのだろうと心が温かくなりました。中秋の名月を愛でるという日本人の感性は、このようにして幼い頃から家庭の中で育まれていることにあらためて気がつきました。幼稚園でも、型通りのお月見遊びでなく、子どもたちと心から満月を喜び楽しむ経験を持ちたいと思います。
 9月30日をもちまして園長職を退くことになりました。在任中のご厚情に対しまして厚くお礼申し上げます。なお後任の園長には現副園長の出田和子が就任いたします。今後とも一層のご厚誼を賜りますようお願い申し上げます。

理事長 藤田芙美子
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9月号

子どもが歌うとき
 7月、年長クラスの子どもたちとお泊り保育に出かけました。当日のお天気は、予報では雨。心配しながら迎えたその日は予報を覆して晴れ。子どもたちは,お父さま、お母さまに盛大に見送られて商工会議所前から元気に出発いたしました。しかし、せっかく晴れたのもつかの間で、急に雲が出てきて雨がパラパラッとバスの窓を打ちます。そうかと思うと、またすぐに陽がさしてくるという変わりやすいお天気でした。そんな中、子どもたちが歌い始めました。「雨があがったよ/お日様がでてきたよ/青い空の向こうには/虹がかかったよ♪」一生懸命に、そして歌の最後まできちんと歌います。素晴らしい歌声です。移り変わるお天気にこの歌詞を連想し、それに加えて晴れてほしいという子どもたちの願いがぴったり重なったのでしょう。
 お泊り保育の二日間を通して、雨があがる度に子どもたちの口をついてこの歌が繰り返し歌われました。そしてお天気も子どもたちの気持ちに答えてくれたかのように、お日様が顔を出し、子どもたちは、お散歩やお庭でのサッカーを楽しむことができました。
 子どもたちがメロディーよりも、言葉を手掛かりに歌を歌うことについては、これまでに気がついてはいましたが、その場の状況にぴったりと共鳴して歌いだす子どもたちを目の当たりにして「子どもは自分の気持ちを言葉に込めて歌っている、だからこそ、子どもの歌声は人々の心を動かす」ことを再認識いたしました。

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7月号

少人数グループによる活動
 すみれ幼稚園では昨年来、自由保育の一層の充実を目指して保育研究を重ねてきました。その結果、子どもたちが安全に、自由で心地よい園生活を送るという自由保育の高みを目指すためには、次のような事柄が要件であることがわかってきました。@子どもたちに、身近な自然、文化、社会を体験し深く探索する機会を与え、導くことのできる教員の育成 A子どもも大人も心地よく過ごすことができる保育環境と空間づくり B少人数グループによる活動の導入 C異年齢混合の保育等です。
 3月の春休みには、本園の教職員4名が、本園と同じように子ども主導型の保育をおこなっているイタリア、ピストイア市の幼児教育の研修に出かけました。この研修は上記の要件を満たすために幼稚園は何をおこなえばよいかについて大きな示唆を与えるものでした。
 参加した教員はそれぞれに感じ、会得した保育の実践を始めています。年長クラスでは、少人数グループによる活動を、決められたホームルームだけでなく、ホールや園庭を使って展開し、それぞれのグループが安定した楽しい毎日を送っています。年中クラスではクラスの壁を取り払って子どもも先生も行き来する活動がはじまり、年少そら組クラスは、年中チューリップ組と混じってそれは穏やかで楽しい活動を見せました。
 6月27日、28日は上記@とBCの要件を満たす活動をおこないます。子どもたちをクラス担任だけでなく幼稚園の先生みんなで育てようという実践がはじまっています。

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6月号

シロツメ草
 穏やかに晴れた5月晴れの一日、全園児が揃って野川公園に遠足に出かけました。もとは基督教大学のゴルフ場だったというこの公園は、境界を見渡すことができないほどに広々としていて、その広さだけで心が開放されます。この日は格別の晴天であったことから、新緑の樹々と広い野原の緑が明るい5月の光に映えて、それは美しく、いつまでもここにのんびりしていたいと思わせられる心地よさでした。
 子どもたちは広い空間に放たれて、野原を全力で走ったり、小山を転げ降りたり、運動力を全開する一方で、青い梅の実を見つけて山ほど拾ったり、草原の中を走る蟻や虫を目ざとく見つけて捕まえたり、自然探索にも興味津々でした。
 私は、普段はどこにでもあると特別に目を留めていなかったシロツメ草が、いまが盛りとばかりに美しく咲いているのに気がつき、大きく伸びやかに咲いている花を選んで摘み始めました。そこに年中クラスの女児Yちゃんがやってきて、私と並んで摘み始めました。花を摘みながら私たちはいろんなことに気が付き話し合いました。マメ科のような花を沢山つけたシロツメ草はよく見るとほんのりとピンク色をしていてとてもきれいなこと、陽の当たる場所に群生しているシロツメ草は、小花を沢山つけて美しく咲き、茎もしっかりと長く育っていること、摘み取った花を花束にするととても素敵で、家に持ち帰って食卓に飾りたくなったことなどなど。そこに、年中クラスの男児1名と女児3名もやってきて、みんなで、けなげに咲くシロツメ草の美しさを再発見しました。小さな自然の営みに目を留め、心を寄せる子どもたちと共に発見し語り合う本当に楽しいひと時でした。持ち帰ったシロツメ草の花は、ガラスのコップに入れて食卓に置きましたが、5日間もの間、美しく咲き続けて目を楽しませてくれました。

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5月号

 園庭では、明るい陽射しのなか爽やかな風をうけ鯉のぼりが泳ぎ、足元にはすみれ、スズラン等も咲き、淡紫の美しい藤も砂場であそぶ子どもたちを見守ります。
 4月の始業式には、年中・年長の子どもたちに新しい環境への不安を和らげる想いをこめ、「どのお部屋で遊んでもよいです。どの先生も皆さんのことが大好きです。そしてよく知っているから大丈夫ですよ。」と話しましたところどの子も私をくいいるように見つめていました。
 早くも、1か月が過ぎ新しい環境のなか、歳児によりその姿は異なりますが、それぞれの想いをかかえながらも好きな遊びを通し、それぞれのペースで新しい園生活に慣れ親しもうとする姿やその適応力には驚かされます。この自由に遊べる空間のなかで、まず先生との信頼関係を深め、安心して元気に楽しく遊べるよう、教師は保育環境を整え、子どもの小さな変化をも取りこぼしないよう細やかに配慮してゆきたいと思います。
 なお、先日のクラス懇談会では行事等の係りをお引き受けいただきましてありがとうございました。この一年が子どもたちにとりましてより充実したものとなりますよう、皆様のお力添えをよろしくお願いいたします。(副園長 出田和子)

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4月号

 花吹雪の季節の到来とともに新学期が始まりました。新入園児の皆さまご入園おめでとうございます。在園児の皆さまご進級おめでとうございます。
 幼稚園の創設者フレーベルは「子どもは自ら成長する力をもって生まれる。大人の役割は自らの力で伸びようとする子どもを助けることであり、そのような子どもに何かを教え込むことはむしろ有害である」と言いました。すみれ幼稚園は、子どもが自ら成長するのを妨げないで育てる保育を心がけています。
 この春休みに教職員4名がイタリア、ピストイア市の幼児教育を学ぶ研修に出かけました。「子どもはいつも自然、文化、社会と関わっている。幼稚園の先生は、幼稚園という場所にとどまるのでなく、広い世界に向けて子どもたちに、それぞれとの関わり方の経験を与えなければならない」という教育目標を全教員が分かち合っていて、お互いに協力し、協同し、そして一人一人がこの目標に向けてアクティブな教育アプローチを展開している姿に感銘を受けました。大人も使える本物の道具、大人が見ても美しい画材や教材、部屋のしつらえにその心意気を感じました。

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3月号

 寒気の厳しい1月30日(土)、大蔵流宗家の大蔵彌太郎さんをお迎えして、すみれ幼稚園「親子で楽しむ観劇会―狂言で遊ぼう」を開催いたしました。
 昨年暮れにホールの下見に来られた彌太郎さんは、舞台の位置などを決められたあと、次のことを本番前までに子どもたちに伝えておいてほしいと云われました。「狂言は神様に奉じるものであり、古来神聖な松の木の前で奉納されてきた。今回の舞台の背景になる松の木は、ぜひ子どもたちに描いてもらいたい」と。子どもたちが描く松の木はとても楽しみだし、その松の木によって演じる自分がインスパイアされるに違いないと楽しそうに話されました。
 本番二週間前、年長組が中心になっての松の木の制作が始まりました。最初の週はグループごとに松の枝と葉を共同制作、次の週には、ホールの床に広げられた大きな模造紙に松の木を描くことになりました。まず、Yくんが黒い墨をたっぷり含んだ絵筆を持って、松の太い幹と枝をフリーハンドで描き、そこに男児数名が絵の具で色を塗り、あっという間にそれは立派な松の木の幹と枝を描き上げました。
 制作の一部始終を見ていた私は、子どもたちがお手本もなく下書きもないのに、互いにイメージを共有し見事な構図で、しかも協同して松の木を描き上げる力にただただ驚くばかりでした。
 公演当日は、松の木制作に携わった年長児たちとその家族がこぞって出席。子どもも大人も彌太郎さんのメリハリのある口跡と凛々しく美しい所作に心を奪われました。彌太郎さんが、狂言には「ずかずか」という擬音が出てくるが、何の音だと思う?と問いかけたのに対し、年長の男児Oくんが「木を切る音」と直ちに答え、「びょうびょう」は?に小学校2年生の女児が「犬の鳴き声」と正解したのに会場の大人たちはびっくり。古い時代の言葉や擬音を直感的に理解し、伝統芸能の楽しさに共感する子どもたちの姿を目の当たりにする心暖まるひと時を過ごしました。

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2月号

 毎年2月になると、年長児クラスの子どもたちと幼稚園の先生たちは胸がキュンとなり、何かと落ち着かなくなります。そう、卒園の日が近づいているからです。子どもたちも先生も、その寂しさを振りきるかのように小学校の生活に向けて準備します。子どもたちは「人の話をきちんと聞く」「自分の身の回りのことは自分でする」という先生とのお約束をしっかり守るようになる一方で、残る幼稚園生活の時間を惜しむかのようにお友だちと熱中してダイナミックに遊びを繰り広げます。
 そんな中、身の丈も伸び逞しくなってきた男児4,5名が、私を見つけると必ずお相撲を仕掛けてきます。はじめは一人、次いで二人、三人と束になって組みついてきます。私はこのクラスの子どもたちがまだ年中クラスだった頃から、冬の寒い日に、何度もお相撲ごっこをしました。その頃、子どもたちは私にあっさりと転がされていましたが、先生と力いっぱい取り組むお相撲はとても嬉しく楽しいことだったようです。以来、私は子どもたちの力試しの良い相手と思われてきました。しかし最近では、どんどん成長し、力も強くなった子どもたちを転がすことは、なかなか難しくなり、うっかりすると押し出されたり、力負けするようになってきました。いきなり飛びついてくる子ども、しがみついたらなかなか離れない子どもと取り組みながら、勝ち負けよりもお互いの心のふれあいを愛おしむこの頃です。

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1月号

 明けましておめでとうございます。皆々様お健やかに良いお正月をお迎えのことと存じます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
 昨年暮れに、名古屋芸術大学名誉教授の心理学者、星三和子先生をお招きして当園の教職員のための研修会をいたしました。星先生を講師に是非と思い立ちましたのは、保育に関する季刊誌「幼児の教育」2015年秋号に、日本の保育現場に大切なことは「長く自由な遊び時間」と「落ち着きのある美的な保育室」を用意すること、と書いておられるのを読み、すみれ幼稚園に今必要なことをお話しいただけると直観したからでした。
 星先生は、長年にわたってフランスの幼児教育を研究してこられましたが、8年ほど前からは、イタリア、ピストイア市の乳幼児教育の取り組みに関心を寄せられて現地調査に着手、その研究成果を保育学会等で毎年発表なさっています。研修日当日は、ピストイア市内の保育園、幼稚園での保育実践を映像で示しながらわかりやすく説明してくださいましたが、まずは教職員一同イタリアの保育施設すべてに行きわたっている色彩感覚の良さ、美しさに魅了されました。一方、ピストイア市の乳幼児教育の基本理念である「子どもを暖かく迎えるという基本の上に、探求心、好奇心をもち、自分の行動を決めることができると同時に協調性をもった子どもに育てる」は、すみれ幼稚園の教育目標と重なるものであり、保育の日常の細部にわたっても共感することが多く見出されました。ピストイア市の提唱する教育理念「子どもの美的感覚を豊かにする」「子どもの情緒的な心地よさ、心の安定をもたらす環境を用意する」は、現地でその実際を学びたい事柄と思いました。ピストイアの教育とすみれ幼稚園の教育の交流が始まろうとしています。

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平成27年

12月号

 園庭の柚子の実が黄色く色づいてきました。子どもたちは、毎日柚子の木を見上げて、柚子湯を飲む日を待ちわびています。
 さて、すみれ便り7月号で、すみれ幼稚園に「縦割り保育」を導入することの可能性について検討を始めていると述べましたが、その後の「縦割り保育」の試みとその成果についてご報告したいと思います。これまでに、年長組と年中組が共同する活動「自然の素材を使って工作しよう」を5月21日、22日、25日に、「星空を作ろう」を7月10日に実施、次いで10月21日、22日、23日には、年長児と年中児が混合するパンジー組、チューリップ組、スイートピー組を編成して一日を過ごす保育をおこないました。「縦割り保育」では、西公園への園外保育、昼食や自由活動などのさまざまな場面で、年長児が年中児をいたわり優しく指導し、年中児が年長児の行動をしっかり見つめて学ぼうとする様子が豊富にみられました。私も混合クラスで昼食を共にしましたが、クラス全体がいつもにも増して優しい雰囲気に包まれていると感じました。この経験を通して私たち教員は「縦割り保育」が「年齢別保育」よりも、より自然な子ども集団ではないかと考えるようになっています。次の試みとして、@異年齢混合クラス編成とA年齢別のグループ活動の二重構造で保育をおこなう可能性についてさらに検討を加えたいと考えています。
 次回の異年齢混合のクラス編成による保育の試みは、12月1日、2日、3日に予定しています。この期間は、混合保育担当の担任からその日の保育活動についてご報告をいたしますので、降園時には、それぞれのお子様が所属する混合クラスの所定場所にお集まりください。

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11月号

 先日、植木屋さんが入り、園の庭木をきれいに刈り込みました。その際に、柘榴の木に熟していた実を二つ残してくれました。秋晴れの空をバックに見上げる赤い柘榴の実は絵のように美しく見えました。
 今年の運動会は例年にも増して和やかで楽しい会になりました。初めて挑戦したすみれ囃子も、子どもたち、ご家族の皆様、教員たち全員参加で楽しむことができました。先日、運動会でのお囃子の経験が、さらなる子どもたちの音楽的演奏につながる光景を目にする機会がありました。
 ホールには今も大太鼓と締め太鼓があり、いつでも子どもたちが叩ける状態にしていますが、ある日、年中組の男児Nくんが大太鼓で締め太鼓のリズム てん/てて・つく・すて・つく/てん・つく・つ(下線の部分を打つ)を熱心に叩き始めました。お囃子を練習する以前の、でたらめ打ちとは全く様子が違う、耳を傾けたくなる太鼓の響きです。そこに友だちのMくんがやってきて締め太鼓を打ち始めました。Mくんは、てん/てて・つく・す・つく/てん・つく・つ の「」の箇所を相手のリズムを聴きながら絶妙な間合いで打ちます。そこにKくんがやってきてもう一つの締め太鼓でNくんと同じリズムを打ち始めました。子どもたちのノリのいい演奏に刺激された担任の室井先生が踊りはじめますと、年長組のAちゃんが手ぶりも美しく踊りに続きました。
 ホールの片隅にいた私は、この見事な合奏にしばし釘づけになりました。子どもたちは、日本語の音節を唱えることによって太鼓のリズム打ちを習得したことにとどまらず、今度は新しい複合リズムを工夫し作り出すことに成功していました。言葉のフレーズを唱えることによってお互いの呼吸を合わせて演じ、踊る日本音楽本来の楽しさをはやくも身に付けたようです。

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10月号

 青空がどこまでも高く見える晴れやかな秋になりました。10月10日は運動会です。すみれ幼稚園では毎年運動会で全園児が参加する遊戯やダンスを行ってきましたが、今年は地元の武蔵野囃子に取材してお囃子と踊りに挑戦することになりました。
 この企画が決まったのが先月も半ば、丁度八幡様のお祭りの頃です。一カ月足らずで子どもたちに指導することができるのか、日本の音楽に馴染みのない教員たちに不安の表情が浮かびました。この不安を吹き飛ばしたのは子どもたちでした。
 年長児たちは、口唱歌 てん/てて・つく・すて・つく/てん・つく・つ(下線の部分を打つ)を覚えると難なく締め太鼓の奏法を習得しました。大太鼓の口唱歌は てん/てて・どど・すて・/てん・どんどん です。大太鼓のリズムは難しいので、子どもたちの傍らで、まずは私が大太鼓の練習を始めました。するとKくんが、おずおずと近づいてきました。大太鼓に挑戦したいという気持ちがあふれています。はじめはリズムが取れませんでしたが、口唱歌を一緒に唱えるうちに、どんどん打てるようになりました。両膝を少し曲げて太鼓の中心を打つようにとアドバイスするとすぐにそれを取り入れてしっかりとした音で打てるようになりました。そこに今度はTくんが興味を示してやってきました。Tくんも同様にどんどん上達。そして・・・そばに付き添ったKくんはTくんに「膝を曲げるといいよ」とアドバイスをしたのです。大太鼓のリズムを習得した二人は心から嬉しそうに微笑みを交わしました。
 この二人は、大人が本気で太鼓に挑戦している姿に心を寄せ、自分もやってみたいと思い、自ら挑戦し、学び、それを友だちとも伝えあって技を習得してゆきました。それは日本の芸能の伝承のあり方そのものでした。運動会ではご家族の皆様にもお囃子と踊りを楽しんでいただきたいと思います。お子様からぜひ口唱歌を教わってください。

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9月号

 夏休み前の7月12日、13日、年長クラスの子どもたち32名が富士山麓にあるすみれ山荘にお泊り保育に出かけました。
 涼風がわたる山荘に着くやいなや、子どもたちは外に飛び出し、ホタルブクロの花や野イチゴを摘んだり、トンボやチョウチョウを追いかけたり、昆虫を探すのに夢中になりました。
 そのような中、M児が「ちょっと来て!」と、私の手を引っ張って山荘の前にある草むらに連れて行きました。草むらにかがんで、目を凝らして見ますと、8cmほどの実生のモミの木が凛と立っています。M児はとりわけこの木の姿が気に入ったようで「僕のクリスマスツリー!」といいます。お家に持って帰って育てようということになり、そっと根っこから引き抜きました。急いで山荘に戻ったMくんは、紙皿の縁をテープで折り曲げて植木鉢のようなものを作りあげて持ってきました。Mくんは、私が水を入れたコップに木を挿し玄関に置いているのを見て「ダメ!土を探しに行こう。腐葉土がいい」と言い、再び私の手を引いて草むらに行きました。私が「針葉樹まじりの土でなく、いろいろな葉が混じった腐葉土の方がいい」と言いますと、いかにも具合のいい腐葉土を探し出して、手づくりの鉢に手際よくそれを盛り、モミの木を植え込みました。そして翌日、M児はこの苗を大事に東京の家まで持ち帰りました。
 自分の意志でモミの木を見つけ、対象の本質を見極め、これを育てるためにさまざまな工夫をするM児と行動を共にして、私はM児が確実に自分の意思で行動し、自分を育てていることを知り、本当に頼もしく嬉しく思いました。自分に自信をもった一人前の人間と過ごしたと感じる楽しいひと時でした。

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7月号

 梅雨空の中、紫陽花の青、くちなしの花の白にひと時心を洗われるこの頃です。
 今年4月から、新任の先生5名が教員スタッフに加わったことから、新しいメンバーに、すみれ幼稚園伝統の自由保育を伝えると同時に、新旧教員が協同してより質の高い保育のあり方を探求しようという機運が高まってきました。まずは、すみれ幼稚園の現在の施設の中で、子どもたち一人一人が自由な発想や活動を十分に展開する、より望ましい保育形態から考え直そうということになり、「縦割り保育」の導入の可能性についての検討が始まりました。
 「縦割り保育」とは、年齢の異なる子どもたちがクラスやグループを構成しておこなう保育です。@年齢混合のクラスを編成するA年齢別のクラス編成をするが、クラスの壁を取り払い、異年齢の子どもが交わり活動する場を構成設定する。あるいは@Aの混合型などがあります。
 すみれ幼稚園の場合、とりあえずは現行の年齢別クラス編成に、何らかの「縦割り」の要素を加えるAのケースが、これまで以上に、子ども同士の、そして子どもと先生による学びを深めることになるのではないかと考え、年長組と年中組が交わり活動するモデル場面を考案設定して試行することになりました。第1回目の試みとして「自然の素材を使って工作しよう」の場面設定が、5月21日〜25日の3日間にわたっておこなわれましたが、異年齢の子どもたちがそれぞれのイメージを共有しながら共同で、継続して制作に打ち込む姿を見ることができました。第2回目は7月10日に「星空を作ろう」の場面設定をおこなう予定です。「縦割り保育」についての話し合いから、教員たちの熱心で活発な意見交換にもとづいた保育実践が始まろうとしています。

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6月号

 薫風かおる5月15日、今年も全園児が揃って野川公園に遠足に出かけました。その翌週、年中チューリップ組担任の島崎先生が子どもたちに語りかけました。「遠足は楽しかった?」子どもたち「楽しかった!」島崎先生「遠足ではいろんなことをして遊びましたね。ひろ〜い野原を駆けまわったり、小さなお山を登ったり下ったり。そうそうお山のてっぺんから寝転んでごろごろと転がったのは楽しかったわね」。続いて子どもたちは「大きな梅の実をたくさん拾ったのが楽しかった!」「松ぼっくりも拾った!」「ありんこもいっぱいいた」「れんげの花をいっぱい摘んで冠を作った!」「緑がいっぱいだった!」「お日様が輝いていた!」「みんなでお弁当を食べた!」「ジャングルジムに登った!」と楽しかった思い出話が次から次へと・・・。島崎先生は「では、それぞれが一番楽しかったと思うことを絵に描いてみましょう」と、画用紙を用意し、子どもたちはそれぞれのクレヨンを取り出して描き始めました。どの子どもも楽しかったことを思い出し、目を輝かしながらぐんぐん描きます。制作の途中、島崎先生は「楽しかったこと、た〜くさんあったから、ぜ〜んぶ描きたくなっちゃうと思うんだけど、その中の一つでいいから教えてね!」と声を掛けました。あっという間に描き上げられた絵は、どれも明るくカラフルな色彩で、子どもたち一人一人の楽しかった思い出(イメージ)があふれんばかりの素晴らしい作品となりました。
 私は、子どもたちが、楽しさの心象を的確に絵で表現する力を持っていることに驚くと同時に、一人一人の子どもの心の動きをしっかり捉えて、それぞれの子どもに即したヒントを与え励ます島崎先生の豊かな感性に裏付けられた指導ぶりに、すごい!と拍手を送りたくなりました。子どもの心に寄り添った指導とはこういう指導をいうのだと思います。この絵はチューリップ組の保育室に展示中です。ぜひご覧ください。

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5月号

 新緑の季節、私は、毎朝幼稚園の門をくぐる度に、欅の木を見上げ、どんどん若い芽を吹く力に驚き、煙るような紫色を日に日に濃くする藤棚を遠くに見て、その美しさにうっとりします。
 そんなある日、子どもたちは園庭に出て、思い思いに遊んでいました。砂場で泥団子を作る子ども、藤の木によじ登る子ども、缶ぽっくりで歩き回る子ども。初夏の暖かい陽ざしを浴びてみんな嬉しそうです。私も泥団子作りに加わっていましたが、手洗い場の近くで、つつじの花で色水を作っている年中組のM児に出会いました。
 私がM児と初めて遊んだのは、彼がまだ2歳の頃、つぼみ組の遠足で井の頭公園に出かけたときでした。M児と私は、低い生垣で四角く区切られた小さな庭をぐるぐる走って鬼ごっこを飽きることなく楽しみました。それから1年たってM児が年少組になったとき、滑り台の上にいたM児が私を見つけて、懐かしそうに手を振ってくれました。3歳の子どもが2歳の時に一度だけ一緒に遊んだ私のことを覚えてくれていたことに、私は驚き心を動かされました。そしてまた一年たったこの日、私は、しばらくぶりにM児と近しく出会った嬉しさを誰かに話したくなって、傍らに居た担任に「Mちゃんと私は3年前、つぼみ組の時からのお友だちなの」と話しかけました。それを聞いていたM児は嬉しそうに「そして今もお友だち!」と言ったのです。2歳の頃に私と全力で遊んだ楽しさをM児は今も記憶に留めていてくれたのです。心が触れ合うとは、子ども同士、子どもと大人が本気で付き合い、楽しさを共有することであることを、あらためて実感して、この日、私は一日中、暖かい幸せな気持ちでいっぱいになりました。

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4月号

 花吹雪の季節の到来とともに新学期が始まりました。新入園児の皆さまご入園おめでとうございます。 在園児の皆さまご進級おめでとうございます。
 先日行いました卒園式の日に、晴れて卒園を迎えた年長児たちと次のような対話をいたしました。 私「すみれ幼稚園の生活は楽しかったでしょうか?」卒園生「楽しかった!」 「幼稚園の生活は自由でしたか?」卒園生「自由でした」私「では、皆さんがすみれ幼稚園で、 どうして自由で楽しい生活ができたのか?について、少し考えてみましょう」。
 皆さんがサッカーを始めたのは、今から3年前、年少の頃でしたね。 初めは一人でボールを蹴ったり転がしたりして遊びました。 次にだんだん一緒に遊ぶ仲間ができて、パスをしたり、ドリブルをしたり。 年中になると園庭にネットを出してゴールキックを競い合いました。 年長になると、子どもたち同士でそれぞれの力量を配慮したチーム分けをおこない、 レフェリーも決めて本格的なチームプレイを楽しむようになりました。 そうです、皆さんはしっかりとしたルールを身につけるようになったことから、 それまでにも増して、個人的な技をさらに磨き、友だちとの連携を深めて、 サッカーの楽しさを味わうようになりました。
 皆さんは4月には小学校に入学、幼稚園よりももっともっと広い世界に飛び立とうとしています。 広い世界には、沢山の様々な規律(ルール)が張り巡らされていることでしょう。 すみれ幼稚園で学んできた経験を生かして、 これからもお互いにルールを守ってこそ得られる自由で充実した生活を作り出してくださることを心から期待しています。

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3月号

 この冬は、寒気が厳しい毎日が続きました。 どんなに寒くても子どもたちは外遊びが大好きです。
 そんなある日、5歳児クラスの女児二人が砂場でプールを作っていました。 小高く積み上げた砂山の頂点に小枝をさして、噴水。 さらに小山の両側から麓の大きなプールに流れ込む水路を作って、滑り台プール。 次に、この大きなプールから環状に流れる水路を作り、渦巻プールも二つ作りました。 その間、約30分。二人は黙々と作業を進めますが、 お互いにイメージを共有し合っているようで、わき目も振らずにどんどん作ります。 それぞれが工夫を凝らして、あっという間に夢のように楽しいプールの遊園地を作り上げました。 発想の斬新さ、楽しさはもちろんのこと、 いかにも噴水が打ち上げられて落ちる風情のある小枝を探し出して設え、 バランスの良い傾斜をもつ滑り台プールを工夫し、指先を使って丹念に水面の漣を表現する技は、 まるで職人さんがコツコツと仕事に打ち込んでいる姿そのものです。 もうすぐ卒園の5,6歳児ならではの砂遊びのきめの細かさ熟練の技に、しばし魅了されました。

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2月号

 去る1月24日(土)、本園ホールでヴァイオリンの小林倫子さんとピアノの中西るみ子さんによる 「親子で楽しむ音楽会」が開催されました。 第1曲目は、エルガーの《愛の挨拶》。会場を埋めた子どもたちとその家族約80名は、 小林さんのイギリス仕込みの素晴らしい演奏に心を奪われ、 たちまちのうちに美しく格調高いクラシック音楽の世界へと惹き込まれてゆきました。 次いで、モーツアルト、ラフマニノフ、バッハ、ドボルザーク、バルトークなどの作品が、 演奏者による暖かく優しい語り口の説明を交えて演奏されましたが、 マットの最前列に座り込んだ年少、年中児たちは、それぞれの作品の性格に適確に反応し、 ある時は緊張し、ある時はくつろいで演奏を楽しんでいる姿が印象的でした。 お二人の熱演、なかでもバルトークのルーマニア民族舞曲は圧巻。 子どもも大人も上質の音楽的音響に包まれる幸せなひと時を堪能いたしました。

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1月号

 明けましておめでとうございます。皆々様お健やかに良いお正月をお迎えのことと存じます。 本年もどうぞよろしくお願いいたします。
 お正月といえば、書にまつわる行事や慣習が多いことが思い起こされます。 年の初めにあたって、すみれ幼稚園が大切にしている書についてご紹介したいと思います。  もう2年前のことになりますが、つぼみ組の入会式の日に、 一人のお父様が幼稚園の玄関に掛けられている一幅の書にしばし見入っておられるのに気がつきました。 「書はお好きですか?」と伺いますと「とてもいい書ですね。 近くにお住まいになっていた著名な書家碧潭の筆です」とのこと。 私もご一緒にあらためて書を拝見いたしました。右から左へ「無尽蔵」と書かれた三文字は、 見れば見るほどにバランスがとれていて格調高く美しく、 中でも「蔵」の墨跡は所蔵するものの大きさ重さそのものを表現していて惹きつけられました。 「無尽蔵」という詞もまた、すみれ幼稚園から育つ、 尽きることのない人材資源をまさに象徴しているようで心を打たれます。 前園長の吉田悦子先生と書家の交流から生まれた素晴らしい書です。 皆さまにもぜひ心を留めてご覧いただきたいと思います。



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平成26年

12月号

 お誕生日会でのことです。給食を提供してくださっている林愛さんが子どもたちのお誕生日を祝って 心をこめてかぼちゃのビスケットを焼いてくださいました。 私も3歳児そら組で一緒にいただくことにしました。 子どもたちは、嬉しそうにクマの形のビスケットをじっと見つめています。 その形があまりにも可愛らしいので、子どもたちも私もしばし眺めていてなかなか食べません。 さて、みんなはクマの形のどこから食べるのでしょうか?頭からでしょうか?足からでしょうか? 同じテーブルのAちゃんが、まず頭をかじりました。 そして、それを逆さまにして「ウサギ!」とみんなに見せました。 みんなもウサギ、ウサギと楽しそうです。 しばらくして、今度はSちゃんが頭をかじったビスケットを横にして「お馬!」と叫びました。 そう、走っている馬です。
 三歳児の柔軟な想像力、発想の豊かさにただただ驚かされます。 手づくりのビスケットは、それはそれは美味しく、 この日も「美味しい、美味しい」の声があがりました。 アレルギーのある子どもも、 ない子どももみんなで美味しくいただけるおやつを作ってくださる林さんに感謝。 この日のビスケットはクラス全員完食でした。




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11月号

 年中チューリップ組の子どもたち数名が、床に広げた水色の模造紙の上に、 自分たちが作ったいろいろな魚をあちこちに置いて魚釣りに没頭しています。 いか、タコ、かに、あじ、さんま、かつお、それに名も知れないカラフルな魚たち・・・ 子どもたちの表情は真剣そのもの。魚の頭に付けられた小さなクリップに、 糸の先に付けた小さな磁石をそっと近づけ、釣り上げた時は大満足です。
 傍らにいた私は、そんな子どもたちを応援したくなって、思わず小さな声で歌いました。 「わたし魚やさんです〜/さんま〜あじ〜/いわし〜ぶり〜/タイにマグロ、 いかにひらめ/さーさ、みーんな買っておくれ」。 魚やさんの呼び声の抑揚とリズムそのものを生かした水野修孝さん作詞作曲の語り調の歌です。 魚釣りの子どもたちは一瞬私の歌声に耳をそばだてる表情を浮かべましたが、歌い終えると同時に、 担任の先生から「そろそろお片付けをしましょう」の声がかかりました。 子どもたちが魚を箱に戻しはじめたその時、一人の男児が、私と全く同じリズムでつぶやくように歌いました。 「タイにマグロ、いかにひらめ」。
 この部分は、魚の名称を2拍単位でゆったりと唱えていた前半から一変して倍テンポの1拍単位で歌い上げる箇所です。 この男児は、私が指さしながら歌う魚を興味深く見ながら聴き、 なかでも魚の名称を拍節単位に調子よく歌う部分をしっかりと受け止めて、 直ちに反復して歌ってみたくなったのでしょう。子どもが歌を口ずさみたくなる時の心の動き、 話し言葉が作り出すリズムについて深く考えさせられる一場面でした。

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10月号

 今年になって、幼稚園のそばにある素敵な花屋さんを見つけました。季節の花を探しに、花好きの幼稚園の先生二人とよくこのお店に出かけています。幼稚園の玄関に四季を彩る活花が飾られるようになったのにお気づきの方いらっしゃいますでしょうか?
 玄関の活花にいち早く気が付いたのは、大人ではなく子どもたちでした。「きれいね」「家の庭にも咲いている」「僕の家のアジサイはどんどん色が変わる」と、お友だちや先生とお花をめぐっての楽しい会話が始まりました。
 印象的だったのは、年中組のMくんの反応でした。玄関の西洋アジサイとリョウブの活花を正面からしっかり見て、しばらく無言。「うん、いい」と一言。そばにいらっしゃったお母さまが「この子はお花が好きなのです」と。
 秋になって、丸い黄緑色のイガがいかにもかわいらしい西洋栗とオレンジ色の鶏頭の花を活けました。Mくんは、西洋栗の愛らしさに惹きつけられたようです。私の耳元でささやきました。「あの栗、お飾りが終わったら僕にください」と。何日か経って飾りつけが終わったので、栗を新聞紙に包んでMくんにあげました。「有難うございます」と大喜び。さて、あの栗で何を作ったのでしょうか?
 先週、信州、湯の丸の山に出かけました。高く広い空に薄く白く伸びる雲、くっきりとした稜線を見せる山々、黄色く色づいた田んぼ、その景色に溶け込むように咲く芒や萩、吾亦紅などの山の花々、息をのむ美しさです。来週にももう一度出かけて、赤く輝く山の芒と吾亦紅を持ち帰り、子どもたちに山の秋を届けたいと考えています。

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9月号

 今春、影絵作家の藤城清治さん(90歳)の絵本(画本)『風の又三郎』が出版されました。少し大判のそれは美しい絵本です。一目見て、すみれ幼稚園の子どもたちに読んであげたい!と思いました。しかし、内容の深い宮沢賢治の童話を幼児にどれくらい伝えることができるか、とやや不安でした。
 できれば賢治の時代の日本の風景に近い場所で子どもたちに与えたい、という理由から、すみれ山荘でのお泊り保育の際に、読み聞かせをすることにしました。夕食前のひととき、絵本を開いて「少し昔のお話です。このすみれ山荘のように、緑に囲まれた村に、小さな小学校がありました。ある日、子どもたちが学校にやってくると、教室に、赤い髪の知らない男の子がいました」と読みはじめますと、子どもたちはシーンと静まり返り、絵本の世界に入り込んできました。読んでいる私が圧倒される集中ぶりです。「あ、あの高い木に子どもが登っている」「川に飛び込もうとしている」と声を上げる子どもたち・・描画の隅々までとらえて見逃しません。どうやらお話の筋よりも藤城さんの輝き躍動する絵に惹きつけられているようです。私は、ストーリーを読むことをとりやめ、場面ごとの絵から子どもたちがさまざまに想像する時間、間、をたっぷりとってお話のエッセンスだけを語り聞かせることにしました。食事の用意が整って、絵本の読み聞かせは途中で終わり、続きは幼稚園でということになりましたが、子どもたちは絵本の世界の余韻に浸っているようで、しばし沈黙の時が流れました。
 藤城さんが精魂込めて描き上げた絵が、確実に子どもたちの心をとらえたと感じるひと時でした。

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7月号

 いま「メロディの翼」という、室内楽メンバーの演奏に魅了されています。フランス国立管弦楽団と国立ラジオ・フランス・フィルハーモニーの有志のメンバーからなるこのグループは、東日本大震災で被災した学校にピアノを贈ろうという趣旨のもと、代官山ヒルサイドテラスのホールで、毎年1回、チャリティ・コンサートを開催してきました。私は、主催者の浅田さん、バイオリンの破魔さんご夫妻と親しくさせていただく幸運に恵まれたことから、演奏を聴く機会を得ると同時に、コンサートのライブ録音のCDも手に入れることができました。以来「メロディの翼」は、私にとって毎日欠かすことのできない音楽となっています。
 世界屈指のオーケストラ演奏者たちによる音楽は、磨き抜かれた演奏力と、個性あふれる表現力によって、他に類のない輝きと響きがあります。演奏者たちは、ある時は自分を主張し、ある時は相手を引き立て協調して見事な独自のハーモニーを作り上げています。CDを繰り返し聴くうちに、演奏者一人一人の心の動きや個性も聴きとることができるようになりました。印象的なのは、フランス音楽の伝統的なサウンドの中にあって、メンバー中ただ一人の日本人である破魔さんのバイオリン演奏に、日本人だからこその繊細で美しいニュアンスが感じとれることです。
 すみれ幼稚園の子どもたちの日常の生活にも、「メロディの翼」の演奏に共通するハーモニーを見出すことができます。それぞれに個性的な子どもたちが、ある時は自分を主張し、ある時は友だちを思いやり協調して、日々楽しい生活を作り上げています。自分の言葉で自由に話し、やりとりをする生活経験の積み重ねが、すみれ幼稚園独自の暖かい気風を馥郁と育てていると感じる毎日です。

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6月号

 梅雨入り前のさわやかに晴れた朝、年中クラスの子どもたちと近くの公園に行きました。 車両が行き交う街なかを整列して緊張気味に歩いてきた子どもたちは、 公園に着くやいなや放たれたように四方八方に駆けだしました。 4,5人の子どもたちが公園の角にある紅葉の樹に登りはじめました。 この季節の紅葉は、赤い新芽と若緑の葉の色のコントラストが見事です。 それに、いかにも子どもが登りやすい枝ぶり! 子どもたちはしっかり枝を握り、足場になる幹や枝を注意深く見極めながら登ります。 中ごろまで登った男児と女児が、周囲を見回し空を見上げて「わぁ〜、きれい!」と、 弾んだ声を上げました。
 柔らかい太陽の光が降りそそぐ樹を下から見上げますと、枝葉がきらきらと光に輝き、 うっとりする美しさです。 樹の高み、繁みの中から眺めている子どもたちが見る景色はもっともっと美しいに違いありません。
 恰好の枝ぶりを見つけて座り込み、渡ってくる涼しい風を受けて、周囲の景色を楽しんでいる子ども、 高みを目指して上へ、上へと登る子ども、樹の下に居る私を見下ろして声をかける子ども、いろいろです。 木登りをする子どもたちを見ていて、一人一人が違った楽しみ方をしていることに気がつきました。 初夏の心地よさをそれぞれに楽しむひと時、この幸せな時間を大切にしたいと思いました。

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5月号

 この間まで枯れ木のように見えた園庭の藤の木でしたが、春の陽ざしが明るさを増すにつれて、 若い芽をつけ、長い茎を伸ばして花芽をどんどん開き、 あっという間にたわわな花房となって棚いっぱいに広がりました。 その生育の力は驚くばかりです。今、園舎から見渡しますと藤棚のあたりは紫に煙ったようでとてもきれいです。
 4月に入園したばかりの3歳児たちも園生活に溶け込んでいます。  鯉のぼりが翻る園庭で、元気いっぱいジャングルジムによじ登り、かくれんぼうをします。 地面に白線で描かれたトラックをぐるぐる駆け回る子どももいます。 いろいろに遊ぶなかでも3歳児にとって最も気持ちが落ち着き、長い時間にわたって集中できるのは、 木漏れ日が心地よい藤棚の下で砂遊びをすることのようです。
 子どもたちは、それぞれにお気に入りの場所を見つけて、それぞれの遊びに没頭して満ち足りた表情です。 5月は、子どもたちも植物も活力にあふれる季節です。

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4月号

 美しい季節の到来とともに新学期がはじまりました。新入園児の皆さまご入園おめでとうございます。 在園児の皆さまご進級おめでとうございます。
 今回は、すみれ幼稚園の保育の特徴について少しお話することにしましょう。 1970年に入ったころから、時の文部省は、 教師指導型の一斉保育を子ども主導型の保育への転換する方針を打ち出し始めました。 当時は、ほとんどの幼稚園が、まだ一斉保育をおこなっていましたので、 幼稚園の現場も教員養成機関も新しい指導法の導入に戸惑うばかりでした。
 このような時に、すみれ幼稚園の創設者であり園長であった吉田悦子先生は、 いち早く新しい教育方法に関心を寄せ、教員たちを交替でお茶の水女子大学の現職研修会に派遣し、 この教育の導入に着手しました。 吉田先生は、すみれ幼稚園40周年記念誌の中で、教師主導型から子ども主導型への転換を 「教師によって『させられる』教育から、子どもが自分自身で『する』教育への転換」とわかりやすく述べておられます。
 今から45年も前から始まった、すみれ幼稚園の自由保育は、今も脈々と受け継がれています。 新学期を迎えて、私ども教員一同、すみれ幼稚園の良き伝統を継承し、 さらに保育の質を高めたいと気持ちを新たにいたしております。どうぞよろしくお願いいたします。

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3月号

 二回にわたっての大雪が降り、幼稚園の園庭は20pもの雪におおわれました。 雪に埋もれながらも紅梅は満開、バラの木は、いつの間にか沢山の赤い芽をつけています。そう、春はもうすぐそばまで来ています。
 先だって行われた子ども会で、パンジー組の子どもたちは《ドキドキドン!一年生》を力いっぱい歌いました。練習の時は発声に注意をしてきれいな声で歌いましたが、本番はそれぞれの気持ちを爆発させて歌いました。♪だれでも最初は一年生、ドキドキするけど、ドーンといけー♪ 小学校入学を目の前にして、一年生になる嬉しさと気負い、幼稚園を去るさびしさを振り切るかのように歌っていると感じました。子どもは、私たち大人以上に言葉に感情を込めて歌います。発声法など気にかけず、メロディー線よりも言葉に気持ちをのせて歌うこのような歌い方もいいなあと思いました。

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2月号

 先週、年長クラスの子どもたちがカルタづくりに取り組みました。 担任の島崎先生が午年に因んで馬のカルタ札を作ろうと提案、子どもたちは、 それぞれがイメージする馬の絵と言葉の札をB5サイズで作り上げました。 同じ馬の絵であるにもかかわらず、一つとして同じものはなく、どの絵も言葉も、 一人一人の子どもの思いが伝わってくる個性あふれるカルタに出来上がりました。
   お:お馬さん/元気に山を/走ってる
   き:騎士がお馬に/乗ってるよ
   お:おおしゃれなうまが/なわとびしてる
などなどです。壁面に展示されたカルタを何度も繰り返し眺めているうちに、 言葉を七五調に整えているものが多いことに気がつきました。
 子どもは、早ければ、一歳半頃から七五調にまとめて言葉を発することがあります。 それは、子どもの日常の生活の中に、 七五調で唱えられる伝承的な唱え言葉やわらべ歌が豊かにあるからと考えてきました。 今、パンジー組の子どもたちが、カルタを遊ぶ中で七五調という表現様式を見事に習得し、 これを用いて自由闊達に言葉を創造的にまとめているのを目の当たりにして、 七五調は日本の文化に埋め込まれている言語表現の創造枠の一つであるとの考えを新たにいたしました。

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1月号

 明けましておめでとうございます。皆様お揃いで良いお正月をお迎えのことと存じます。
 子どもの頃のお正月について、今も心に残っていることがあります。 それは、お正月には必ず、祖母が家族全員に新しいご飯茶碗とお箸を揃え、母親が新しい下着を整えてくれたことです。 物資の少なかった戦後もこの習慣は続けられました。 新しいご飯茶わんやお箸が並ぶお正月のお膳についたとき、母親に手伝ってもらいながら新しい下着に腕を通すとき、 子ども心にも新しい年が始まったことを感じ、新鮮で、きりりと締まった気持ちになりました。 その後、子どもたちが成長し、家族構成や暮らしが変化するにつれて、この習慣はなくなりましたが、 私は今もお正月が来るたびにこの習慣を懐かしく思い出します。 それは、新年のお料理をいただきながら、新しい下着に腕を通しながら、 祖母や母親の愛情を身近に感じた嬉しさが心に残っているからでしょう。 今では古くなってしまったお正月の慣習ですが、そこには日本の伝統的な慣習が用意した家族の心の交流のための装置が しっかり存在していたと感じるこの頃です。

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平成25年

12月号

 幼稚園の柚子の実が黄色く色づいてきました。いよいよ冬本番です。 すみれ幼稚園の冬といえば、なんといってもお餅つき。 今年も、子どもたちが指折り数えて待っているお餅つきの日が近づいてきました。
 前日に水に浸しておいたもち米50s(約3斗)を、当日、早朝から蒸し始めるのは、 吉祥寺の老舗、藤野米店の藤野さん。すみれ幼稚園のお餅つきにはなくてはならない方です。 お餅つきがはじめられた昭和41年以来、毎年一切の采配を振るってきてくださいました。 今年82歳です。もち米の蒸し加減、 お餅の返し方の按配や手順の勘所を押さえて指示を与える姿はこの道一筋の職人さんの風格があり、 お餅つきに参加する人々の気持ちを引き締めます。 一方で、藤野さんが仕事に合間に聞かせてくださるすみれ昔話は、人々の気持ちを和ませ、 なつかしい雰囲気を作り出します。つき手の主力は何といっても若いお父さま方。 返し手はこの道50年のベテラン、一紀先生。海苔やきなこのお餅を作るのはお母さま方。 湯気を立てている、できたてのお餅を頬張る子どもたち・・・すみれのお餅つきは、 日本伝来のお餅つき風景そのものです。すみれ幼稚園の和をつくり、 輪を広げてきたお餅つきをこれからもずっと続けてゆきたいものです。

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11月号

 間もなく4歳のお誕生日を迎えるKくん、 私を見つけると必ず近寄ってきて身体のどこかをトントンとノック、 素晴らしい笑顔を見せてくれます。
 よく晴れた秋の日、Kくんと園庭で出会いました。いつものノック。 私の手を持って「ジャンプして」と言います。 まずは私の両手にぶら下がってジャンプを3回ほど…だんだん高くなり、とても嬉しそうです。 今度は両脇を抱えて「高い、たかーい」。「先生の頭が見えた!」と大喜びです。高いところで、 いつもと違う景色が見えたのが新鮮だったのでしょう。繰り返すうちに、 「高い、たかーい」よりも両手をもってジャンプを、とリクエストするようになりました。 何度もジャンプをしたあと…ふいと私から離れて鉄棒に駆け寄り、 こちらを向いてしっかりと鉄棒を握ってぶら下がり、足をぶらぶら。 はじめは低い鉄棒で、次に高い鉄棒で…どちらも成功! にこにこ大満足の表情です。
 Kくんは私とジャンプを楽しんでいるうちに、モノにぶら下がるときの手や腕の力の入れ方を覚え、 鉄棒にチャレンジしたくなったのでしょう。子どもが主体的に学習し、 運動力を身につけてゆく過程を目の当たりにする感動的な一場面でした。

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10月号

 年中組の部屋に入りますと、すぐ右側の棚の側面に、 先生が布を貼って作ったちょっと背の高い樹が目に付きます。 その樹には、小さな昆虫たちが、まるで樹液を求めて飛んできたかのようにあちこちに止まっています。 せみ、クワガタ、カブトムシ、てんとう虫、バッタ・・・クラスの子どもたちが精巧に作り上げた美しい紙細工の虫たちです。
 ある日、見学者とともに2歳の女の子がこの部屋にやってきました。 女の子は部屋に入るなり床の上に落ちていた赤いてんとう虫をすばやく見つけて、 傍らにあったクレヨンでなぐり描きをはじめました。 すぐそばで粘土細工に熱中していた4歳の男の子がそれに気がつき、心配そうに私を見上げて、 これ○○くんが作ったの、と小声でつぶやきました。 そして、女の子の気がそれたときを見計らって、てんとう虫をそっととりあげ、 近くにいた、てんとう虫作者の男の子の側に置きました。 この男の子はカブト虫作りに没頭していて一連の出来事に全く気がつかない様子です。 すると女の子は、またそのてんとう虫を引き寄せてぐるぐる塗りをはじめました。 心配そうに見ていた男の子は、今度は近くの書架から女の子が好きそうな本を慎重に選んできて、 女の子に手渡しました。赤い金魚が泳いでいる表紙のその本は他のどの本よりも女の子にぴったりです。 ほんの5,6分の出来事でしたが、クラスの友だちだけでなく、年下の子どもの気持ちをも思いやり、 優しく頼もしく対応する4歳児を見て、私は心がふんわりと温かくなる思いがいたしました。 暖かい家庭と自由な幼稚園の環境の中で子どもたちの優しい心がすくすくと育っているようです。

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9月号

 今年のお泊り保育は晴天に恵まれ、パンジー組の子どもたちは世界遺産に指定された 富士山とその周囲の自然を心ゆくまで楽しみました。 大池公園から眺めた富士山は子どもたちが普段親しんでいる「山の向うに」の歌そのもの。 富士山に美しくたなびく雲を眺めながら皆で歌いました。 「山の向うに雲がある/雲の向うに空がある/空の向うに何がある/飛んで見たいな空の果て」。
 ミルクランドからの帰途は、バスの車窓から長い時間にわたって富士山を眺めることができました。 一人の男児が叫びました「あっ!雲が下にある!」。 その声で富士を振返ると...
「頭を雲の上に出し」の歌詞そのものの美しい富士山。 自然と呼応する子どもたちの感性に目をみはる2日間でした。

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7月号

 今年3月の卒園式のことです。制服をキチンと着こなして、緊張した面持ちで着席した卒園生たちに、 一年を振り返り、楽しかったことの数々を語りかけました。 遠足の野川公園で、広場に植え込まれた生垣の周りをぐるぐる走って追いかけっこやかくれんぼをしたこと、 子ども会のために皆でストーリーを考え素敵な舞台を作り上げたことなどなど・・・
話が「7月、すみれ山荘にお泊まり保育に出かけたとき、 山荘に向かう山道を走るバスの窓に突然現れた大きな大きな富士山!」になったとき、 それまでの静寂を破って、子どもたちはお互い顔を見合わせ、 口々に「びっくりしたなあ」「大きかったなあ」と身振り手振りをいれて話しはじめました。 バスの車窓に突然現れた富士山は、例えようもなく大きく美しく、 子どもたちも私もその場では言葉もなく、ただただ目をみはるばかりでしたが、8ヶ月が経った卒園式で、 そのときの感動がどっと言葉になってほとばしり出たようです。 大自然、富士山との遭遇は、昨年一年間の幼稚園生活の中で、 他の何よりも子どもたちの心に強く深く残る出来事であったことを知りました。

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6月号

 青葉若葉の美しい季節になりました。 子どもたちは心地よい自然の恵みを全身で受けとめて、 その喜びを表現しています。
 パンジー組(年長)の子どもたち24名が「こんな鳥がいたらいいなあ」と 個性あふれる鳥24羽を製作しました。 前々日に、担任の島崎先生が作った一羽の想像上の鳥からインスパイアされた 子どもたちが、それぞれのイメージを膨らませ、独創的な鳥を思いを込めて 作り上げました。 製作当日に体調不良になった子どもが、どうしても作りたいと 登園してきたほど子どもたちは自分の鳥作りに夢を広げたようです。 すばやく風を切って飛ぶ鶯と住み心地のよさそうな巣、つばめ、かわせみと その餌の小魚、色鮮やかなきつつき、目つきも鋭いハヤブサ、 おっとりしたフクロウもいます。姿がいかにも優雅な鶴や白鳥、 手の上に止まるセキセイインコ、二本足で立つ鳥、双子の鳥、花模様の羽や 長くひらひらした美しい尾をもつ想像上の鳥。 どれも魅力的で、本当にこんな鳥がいたらいいなあと何度見ても飽きません。 鳥たちはいま、保育室の空間を思い思いに飛んでいます。 たまたま見学に訪れた入園希望児のお母さまが保育室に足を踏み入れるなり 「なんて芸術的なのでしょう!」と感嘆の声をあげました。 子どもたちの芸術する芽が育っています。

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5月号

 幼稚園の藤の花が今年は格別に美しく咲き、いまが見ごろです。 入園したばかりの3歳児が藤棚を見上げて「あのお花とって」と言います。 水を入れたボールに藤やツツジの花びらを入れ、木片で混ぜて「色水、きれい!」と満足そうに見入っています。 4歳児は、お皿に砂を盛り、その上に花びらやチューリップの葉を刻んで彩りよく散らし「まぜご飯!」。 大人もはっとするほどの造形美を作り上げます。 子どもたちの日常の活動には、しばしば古代の人々の暮らしを髣髴とさせられるものがあります。 古代人もまたこんな風に、自然の素材を用いて工夫し、さまざまな生活用品を作り上げ、 その美しさに満足し感動していたのでしょう。 子どもたちが真剣に遊ぶ姿に、人間の美的創造的活動の原型を見出し、「すごい!」と思うこの頃です。

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4月号

 花の季節の到来とともに新学期が始まりました。新入園児の皆さまご入園おめでとうございます。 在園児の皆さまご進級おめでとうございます。
 幼稚園の創始者フレーベルは、「幼稚園」(Kindergarten)は「庭」(Garten)を教育の 原理とすると述べ、幼稚園における教育を次のように説明しました。
 経験豊かな洞察力のある庭師の配慮のもとにある庭では、植物は自然の恵みを受けながらすくすくと育つ。 幼稚園は、子どもたちが保育者の深い愛情と洞察力に包まれ、子どもたちに生来備わっている「生きる力」を 外界に働きかけながら自らを育ててゆく場所である。
 すみれ幼稚園の保育はこのようなフレーベルの考え方に基づいておこなわれています。 保育者は、子どもたちの内界にある「生きる力」を信じ、子どもたちがそれぞれの「生きる力」を 外界に向かって表現し、成長することができるよう環境を整え補助いたします。 すみれ幼稚園の自由な雰囲気の中で、子どもたちが主体的に外界に働きかけ成長する姿を 保護者の皆さまともども暖かく見守り育てたいと思います。